2016年05月06日

『リップヴァンウィンクルの花嫁』

監督・脚本:岩井俊二
出演:黒木華、綾野剛、Cocco、原日出子、地曳豪、和田聰宏、毬谷知子、夏目ナナ、金田明夫、りりィ、ほか
2016年

いろいろ落ち着かない日々を過ごしている間に、もう観てから3ヶ月以上も経ってしまい、記憶もほとんど薄れてしまったが、次の記事を書くために、一応感想を書いておかねばなるまい。これは好き嫌いがはっきり分かれる映画だと思うが、私には全然だめだった。黒木華、綾野剛といった好きな俳優さんが主演なのに、つまらなかった大きな理由のひとつは、黒木演じる七海のキャラクターが、近年よくある設定の、ウジウジして自己主張のできないもどかしすぎる女性で、これっぽっちも共感できなかったことにある。これを等身大と称するのかも知れないが、映画の中でまで、こういう自ら不遇を招くようなタイプの人物像を見たいとは思わないのだ。そのように嫌気を催させるほど黒木華が上手いと言えるのだろうが、エンディングに向かって七海のアイデンティティが解放されるまで忍耐力が続かない。

一方、綾野剛演じる安室のキャラクターは、変幻自在の謎の男で、こちらは躍動感があり、決して善人ではないのにむしろ魅力的に見える。

まったくの個人的な嗜好によるのだが、Coccoが私はどうにもこうにも苦手だ。その純粋さが痛々しく、見ていられないほどの居心地の悪さを感じる。彼女の登場場面だけ、フィクションではなくドキュメンタリーであるかのような生々しさなのだ。作品自体、現実とも夢ともつかぬ部分はあるのだが、そのふわりとした手触りのところを、荒々しく引っ掻いてずたずたに切り刻むと言ったら良いだろうか。彼女の存在感がそれ以外の要素をすべて覆い隠してしまっている。毒をはらんだ作品は私は好きなのだが、これは実に後味の悪い映画だった。
(2016.5.6 テアトル新宿にて)
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2015年09月19日

『天空の蜂』

監督:堤幸彦
原作:東野圭吾「天空の蜂」講談社文庫
脚本:楠野一郎
出演:江口洋介、本木雅弘、仲間由紀恵、綾野剛、國村隼、柄本明、光石研、佐藤二郎、やべきょうすけ、手塚とおる、松島花、石橋けい、前川泰之、松田悟志、森岡豊、カゴシマジロー、竹中直人、落合モトキ、向井理、永瀬匡、石橋蓮司、ほか
2015年

話題作を初日に観に行って来た。原作は読んでいないが、東野圭吾のこと、ストーリーは面白いはずだし、豪華キャストだし、事前宣伝によればスケールが大きく迫力満点ということで、ある程度期待していたのは事実だ。

見終わってまず映画のことより、原作のことを考えた。この小説が15年前に書かれたものとは、本当に驚きだ。原発の危機、今の日本にこれほど説得力のある脅威はないだろう。もちろん、現実には大震災により原発が破壊され、物語は重量ヘリが原発に落とされるかどうかだから、事情は違うが、危機が迫ったときの政府・行政・原発管理者・警察・自衛隊・一般人、それぞれの思惑が複雑に絡み合う様は、3.11のことをありありと思い出さずにはいられない。まさに未来を見通している小説だと思えた。観た今は、これから原作を読むつもりでいる。東日本大震災直後だったら、この映画は作れなかっただろうし、今でも原発に危機が迫るという設定の映画など観たくない方もおられるだろう。それでも、エンターテインメントとして大変面白く出来ていたし、絵空事と思えなかったためだろうか、俳優陣もとりわけ熱を入れて演じていたように思う。

1995年のこと、自衛隊に納入する直前の最新鋭の大型ヘリコプター、通称「ビッグB」が、お披露目の日に何者かの遠隔操作によって、製作会社錦重工業の格納庫から飛び立ってしまう。ビッグBはパイロットなしで飛行が出来るという特性を備えたヘリだ。だが無人のはずのビッグBには、設計者である湯原(江口洋介)の息子がひょんなことから忍び込んでおり、ヘリはこの子供とともに飛び立ち、福井県の高速増殖炉「新陽」の真上でホバリングする。大騒ぎになった頃に、ヘリを盗んだ容疑者からコンタクトがあり、交換条件が提示される。それは日本にあるすべての原発を使用不能にしろというものだ。条件を飲まない場合は、ヘリをホバリングさせたままで動かさない。そうすればやがて燃料が尽きてヘリは新陽に落下する。ヘリには大量の爆薬が積まれているという。ひとりヘリの中にいる子供はどうなるのか、ヘリの燃料の尽きる8時間後までに、湯原や原子炉設計者の三島(本木雅弘)・発電所を管理する炉燃・警察・消防・自衛隊・政府が、各自の立場で策を練る。もし新陽が爆破されれば、日本の大部分が壊滅的放射能被害を受け、今後数百年人の住めない地域になってしまう。犯人の究極の目的は何か、政府は条件を飲むのか、子供と日本の運命はいかに?

冒頭の音楽から惹き込まれた。蜂だ。ブンブンという羽音を思わせるうねりのようなメロディーが、気持ちをザワッとさせる。テンポ良く話がどんどん展開してゆくが、目まぐるしくはない。あまりシーンの余韻を感じさせないところが、映画的というよりテレビ的でもあるのだが、浅い感じはしない。巨大ヘリに代表されるメカ面の迫力も十分で、宣伝通りのスケール感だ。それでも真の主役はやはりストーリーだろう。原発、自衛隊、政府、あまりにもタイムリーなその道具立てには注目せざるを得ないし、今だからこその理解度が見る側にはある。

登場人物も魅力いっぱいだった。特に本木雅弘。大人の不気味な迫力が出てきて、失礼ながら予想を遥かに超える好演だった。役柄が違うと言ってしまえばそれまでだが、『おくりびと』の時より何十倍もよかった。これだけ多くの組織が絡みあう話だと、どこかが突出して優れた組織で、他はやや無能に描かれることも多いのだが、この映画ではそうではなかった。警察が舞台の物語でない限り、揶揄される対象になりがちな警察が、一番印象に残った。参考人聴取をおこなう刑事・高坂を演じる手塚とおるが非常に気に入った。癖のある役(たいていは悪役に近い)の多い俳優さんだが、今回の役では癖はあるが有能な刑事だ。その部下役の落合モトキと松島花もよい味を出していて、この3人だけで面白いドラマが作れそうだと思うほどだった。

最後の最後まで手に汗握る展開でエンディングを迎えるが、結末がわかっても爽快感とはほど遠いズシンと重い何かが残った。あまりにも色々考えさせられるストーリーである。

(2015.9.12 ユナイテッド・シネマとしまえん にて)

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2015年05月30日

『海街diary』試写会

監督・脚本:是枝裕和
原作:吉田秋生『海街diary』(小学館「月刊フラワーズ」連載中)
出演:綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すず、加瀬亮、鈴木亮平、池田貴史、坂口健太郎、前田旺志郎、キムラ緑子、樹木希林、リリー・フランキー、風吹ジュン、堤真一、大竹しのぶ、ほか
英題:Our Little Sister
2015年

久しぶりに試写会が当たったので、見たかった映画だし、喜んで先週行ってきた。

是枝作品としては珍しく、人気女優を4人も集め、舞台は鎌倉、原作は漫画ということで、いったいどんな作品に仕上がっているのだろうと、非常に興味があった。私たちはキャストをよく知っているけれど、知名度のない外国で彼女たちの存在は、巨匠コレエダの作品中でどのように評価されるのだろうと、それも知りたかった。

幸田幸(綾瀬はるか)、佳乃(長澤まさみ)、千佳(夏帆)は、15年前父が他の女性と暮らすために家族を捨て、母(大竹しのぶ)も再婚のため家を出て以来、3人だけで鎌倉の一軒家に暮らしている。ある日、山形から父の訃報がもたらされた。父の再々婚相手からだ。悲しむには、合わずに長い時間がたちすぎていたが、3姉妹は父の葬儀に出るために山形を訪れる。父には再婚のときの娘、中学生のすず(広瀬すず)がいる。血の繋がらない母親と兄弟との今後のすずの生活に不安を覚えた幸は、すずに鎌倉で一緒に暮らさないかと声をかける。

4姉妹はいずれもくっきりとした性格設定がなされており、どのキャストも見事にはまっている。しっかり者で融通のきかない長女、都会風な装いと風貌で男性との付き合いも密な二女、天然で甘ったれな三女、そして複雑な家庭環境のゆえに思慮深く気配りをしすぎる四女。あまりにもイメージとぴったりなキャスティングであるため、意外性には乏しい。この人の新たな面を見たかったな、という希望があったとしても、それは残念ながらかなえられない。しかし、どの女優も十分よかったと思う。

優しい優しい映画である。些細な感情の行き違いや、登場人物の内面の葛藤はあるにせよ、それらが顕著な形で表出したりはしない。日常の中にほんのちょっと立った波風を物語に仕立てたに過ぎない。だからこそ、ディテイルが大切になってくると思うが、そこは名手是枝監督のこと、人の自然な描写、ことさらに愛情を強調しない節度、鎌倉という舞台を大げさに取り上げない抑制された画面は好ましい。人生の中で誰もが何かを決断しなければならないことがあるが、映画の登場人物たちは、家族の愛情に支えられて、自ら決めた人生を歩んで行く。そういうところが清々しい。

『奇跡』でよい演技を見せていた前田旺志郎が出演していた。大きくなったものだという感慨とともに、ちゃんとした俳優に育ったなと感じた。

ただ私は是枝作品にある優しさの中の毒が好きでもあったので、そういう見方からすれば、物足りない映画だ。試写日は、カンヌのパルムドールが決まる前日だったが、見終わって、この映画はパルムドールには届かないだろうなと思った。

(2015.5.24 よみうりホールにて)

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2015年05月05日

『セッション』

監督/脚本:デイミアン・チャゼル
出演:マイルズ・テラー、J・K・シモンズ、メリッサ・ブノワ、ポール・ライザー、オースティン・ストウェル、ネイト・ラング、ほか
原題:WHIPLASH
2013年アメリカ


DFA_4072.JPGこのところ、ちっとも映画館に足を運ばないので、連休くらいは何か観に行かなくてはと、オープンしたばかりのTOHOシネマズ新宿へ出かけた。この劇場で観たいものは、3本程度あったのだが、良い席の残っていた『セッション』を観ることにした。歌舞伎町にシネコンが出来たことで、確かに人の流れが変わったようだ。新しいシネコンに人気が集まったのか、地の利の良さか、連休まっただ中のせいか、最近ないほどの盛況で、どのスクリーンも満席のようだった。

オスカーを3部門で獲得し、前評判が非常に高かっただけあって、大変スリリングで面白い作品だった。これを選んで良かったと思える。原題の"WHIPLASH"は劇中で何度も演奏されるジャズ・ナンバーのタイトルである。わかりやすくしたかったのだろうが、邦題を『セッション』にする積極的理由はないような気がする。『ウィップラッシュ』でもよかったのでは?

アンドリュー・ニーマン(マイルズ・テラー)は、名門の音楽大学に入学したばかりの1年生。ジャズドラマーとして超一流になるのが夢だ。その彼が伝説の鬼教師と言われるフレッチャー(J・K・シモンズ)の目にとまる。フレッチャーのバンドで成功すれば、各方面からのスカウトが殺到し、偉大な音楽家としての道が開かれる。有頂天になったニーマンだったが、フレッチャーの完璧を求める過酷なレッスンは、ニーマンの想像の域を遥かに超えていた。人格を全否定するほどの罵声を浴びせる、平手打ちをする、スティックを握る手から血が出ても容赦はしない、罠を仕掛ける。常識を越えた狂気のレッスンに、ニーマンの精神は徐々に追い詰められて行く。師弟という人間関係だけでは理解し得ない二人の対決の結末は?

フレッチャー鬼教師ぶりがまず見ものだ。台詞の激しさ、表情もさることながら、J・K・シモンズの身のこなしが素晴らしい。とりわけ腕と手の動き。これをカメラが実に効果的に捉えている。アカデミー賞でシモンズは助演男優賞に輝いたのだから、彼の演技の素晴らしさは私などが指摘するまでもないことだが、のほほんとしていたニーマンの表情が徐々に変貌していくところも注視に値する。名門大学に入学して、家族からはちやほやされ、ニーマンはやや高慢ちきなところがあった。それが、フレッチャーに徹底的に痛めつけられることによって、プライドに揺らぎが生じ、彼の人格は根底から揺さぶられることになるのだが、その少しずつの変化をマイルズ・テラーはうまく演じていたと思う。

脚本も映像も俳優もみな良かったし、レッスンやコンサートのシーンは満足だが、それ以外のシーン、例えばニーマンと父親とか、ニーマンと女の子のデートシーンなどで、印象があまり変わらないように思えたのだ。これはわざとそうしたのかも知れないが、もうちょっとメリハリがあってもよかったかなと感じる。ジャズ以外のシーンでの、おまけ的な印象が拭えなかったからである。

(2015.5.4 TOHOシネマズ新宿にて)

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2015年03月25日

詠舞台『蟲師』鑑賞(ネタバレあり)

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「野末の宴」
「一夜橋」




楽しみにしていた詠舞台、今日の公演を観て来た。どの話も好きなので出し物の組み合わせで選んだわけではなく、一番良い席が取れそうな日時を選んでチケットを購入した。その甲斐あって、最前席が取れた。

朗読劇とはいっても、どのような構成になるのだろうと、演出が最大の関心事だった。またどのようなオープニングになるのかがポイントと思えたため、興味は尽きなかった。

客電が落ちしばらくすると「およそ遠しとされしもの…」、もはや『蟲師』に欠くことのできない土井美加の声が聞こえる。舞台前面には白く薄い紗のような幕が降りていて、朗読者は話の流れに従って、この幕の後ろにいたり、前に出てきたりする。土井は常に幕の後ろ。

物語はギンコが狩房家を訪れたという設定で始まり、淡幽にギンコが経験譚を語る形式をとる。そして少し話が進んだ時に「野末の宴」と土井が題を告げる。非常にスムーズな導入だ。朗読者は確かに本を持っているのだが、ただ座っているわけではなく、中野裕斗(ギンコ)が胡座をかいている横で、小林愛(淡幽)は悪い脚を投げ出した横座りになっている。わずかに身じろぎもする。衣装はカジュアルな洋装の普段着のようなものだが、蟲師の世界と調和した材質・シルエット・色を選んでいて、これがシンプルでとてもよかった。小林だけは、ガウンのように上に白い着物を羽織っていた。

幕の使い方が絶妙だ。これは映像を映し出すスクリーン役もする。会場の横壁にも同じ材質の布が吊り下げられていて、そこに蟲の映像が映し出されるシーンもあり、世界の広がりを感じさせる。朗読者が立ったり座ったり、幕の後ろにいたり、前に出たり、動きがあるのが新鮮でありながら、物語とぴったりうまく合致した心憎い演出だ。動きがあっても、肉体で演じる俳優とは異なり、あくまで観客に届くのは「声」である。アニメなしのアニメの世界に近いという言い方は変だが、あくまでも朗読劇。「詠舞台」とは真に見事な命名だと思う。

この舞台で最も感銘を受けたのは、声優さんたちの声の持つ力だ。アニメで聞き慣れた声に声優さんご本人の顔が見えるというのは、一瞬興ざめになるかと思いきや、これはまったくそんなことはなく、声優さんたちの顔を見ているというより、そこにギンコを、淡幽を見ている感覚なのだ。ストーリーはアニメと同じだし、声も同じだが、声の持つ奥行き、声に内包される物語の奥行きは、テレビの比ではない。土井、中野、小林以外では「野末の宴」の禄助役の上村祐翔が素晴らしかったと思う。彼の豊かな声のトーンには惹き込まれた。淡々と話す中野ギンコと好対照で、名シーンと言えると感じた。

鑑賞し終わってまず感じたことは、出来ることなら全話観たかったということだ。私にとっては、決して安くはないチケット代なので、1度だけ行くことにしたのだが、心から楽しめたし、素晴らしい舞台だったと感じた。
プログラムを購入したが、これがかなり立派。ページは綴じられてはおらず帙に納められている。純和風の作りだ。
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(2015.3.25 青山スパイラルホールにて)
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2015年02月25日

『アメリカン・スナイパー』

監督:クリント・イーストウッド
原作:『ネイビー・シールズ 最強の狙撃手』クリス・カイル、スコット・マクイーウェン、ジム・デフェリス著(原書房)
脚本:ジェイソン・ホール
出演:ブラッドリー・クーパー、シエナ・ミラー、ルーク・グライムス、ジェイク・マクドーマン、ケビン・ラーチ、コリー・ハードリクト、ナビド・ネガーバン、ほか
原題:American Sniper
2014年アメリカ


ほとんど何も事前情報は入れず、クリント・イーストウッド監督の最新作であり、評判が高いということだけで観に行ったが、期待に違わず、本当に見応えのある作品だった。実話の映画化であり、2年前まで存命だった人を描いているのだが、実話を越えたリアリティーというのはこういう作品を言うのではないかと思えた。もちろん、原作(主人公の回想録)は読んでいないので、そう判断するのは無謀ではあるのだが。

クリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)は、カウボーイになることを夢見るテキサス生まれの少年。厳格な父親に手ほどきを受けたライフルの腕は確かなものだ。長じて、国を守りたいという正義感にかられ、クリスは海軍の特殊部隊「ネイビー・シールズ」に志願する。過酷な訓練の後に彼らに与えられた使命は「番犬」になること。つまり、狙撃の腕を生かして味方の兵を守ることだ。結婚して日を置かずして、クリスに派遣の命が下る。卓越した狙撃の腕で、クリスは「伝説」と呼ばれるようになり、4回の派遣をこなす。国では妻と子が待っており、彼の除隊の日を心待ちにしている。良き夫と父である一方、米軍史上最多と言われる160人を射殺したクリス。彼には葛藤はあるのか。無傷で除隊の日を迎えることができるのだろうか。

二昔前は戦争映画と言えば、舞台は第二次世界大戦。時代を下るとベトナム戦争。そして今なお混迷を深めるイラク戦争が、この映画の舞台である。高度成長期から世の中は平和だという意識に慣れてしまった島国日本の我々と異なり、アメリカはどの時代も戦争と無縁であったことがないことを思い知らされる。イーストウッド監督は『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』で第二次大戦を描いたが、今作では戦闘場面の凄まじさと、人間性の内面をより深く掘り下げたことで、それらを凌駕しているように思える。

クリス・カイルはほとんど非の打ち所のない人物として登場する。凄腕の射撃手であり、「伝説」と呼ばれてもそれを鼻にかけることはなく、かと言ってことさらに卑下することもなく、戦友思いで家族思い。けれども彼は単なる楽天家ではない。人にも言わないし、表にも出さないが、人を殺すことを含めた戦争の過酷さが徐々に彼の心を蝕んでゆく。その辺の微妙な変化を、ブラッドリー・クーパーは丁寧に丁寧に演じていて、大変好感が持てた。アカデミー賞の主演男優賞にノミネートされたのも当然と言えるだろう。狙撃手であるから、カメラは頻繁に彼の目をアップで追う。それが素晴らしい映像となって迫ってくる。クルンとカールした睫と標的を見据える無心の目に見入ってしまう。そして敵のスナイパー役の俳優さんの目も同じく印象的だ。

戦闘場面の迫力というのは、なにも爆発物の威力や圧倒的な数の軍隊でのみ表されるのではないということが、この映画を見るとよくわかる。本物同様に兵士の動き、目の配り方、突入の仕方を身につけた素晴らしい俳優たちの動きや、巧みなカット割り、セットの素晴らしさで、とてつもない臨場感を感じさせるやり方だ。味方の動きばかりではない。敵の攻め方(一見米軍のような統率の取れた部隊ではなく、ゲリラ戦に長けた兵士たちというのがよくわかる)や人員の配置までもが見事で不気味だ。

そして、戦争経験のPTSDに関しても、この作品ではしっかりと捉えてられている。本物のクリス・カイル自身、戦場では味方を救い、退役後は本国で戦争を引きずっている人を救う活動をしていたそうである。国を守りたい、仲間を助けたいという純粋な正義感にかられて過酷な体験をした人々への責任を果たさなければならないのは誰か。それはとりもなおさず国だ。勲章や栄誉や金や壮麗な葬儀で責任を果たせるわけではないと、ラストシーンを見ながら思った。

(2015.2.24 ユナイテッド・シネマとしまえん にて)
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以下ネタバレあり
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2015年01月02日

2014年独断と偏見による日本映画・外国映画ベスト3

去年は、仕事もプライベートもひどく忙しく、春以降試写会には全然行けず、映画館に足を運ぶ機会も減り、偉そうにベスト3など選ぶほどの本数が観られなかった。そんなわけで、去年の締めくくりとしての取り敢えずの3本ずつということになる。

【日本映画】
第1位 『そこのみにて光輝く』(感想はこちら
キャスト、脚本、音楽、すべての要素に満足した愛おしいと思える映画。原作通りのタイトルなのだが、このタイトルも本当に素敵。

第2位 『WOOD JOB!〜神去なあなあ日常〜』(感想はこちら
楽しい映画という観点からなら、第1位に推してもよかった作品。原作の良さもあるだろうが、最近はやりのじっとりした日本映画とは一線を画していて、実に爽やかな後味の作品だった。

第3位 『ほとりの朔子』(感想はこちら
みずみずしさに溢れた作品。青春時代の喩えようもなく美しい一瞬の輝きが、最も見事にスクリーンに描かれていた。


【外国映画】
第1位 『アデル、ブルーは熱い色』(感想はこちら
観たときの感想にも書いたが、鑑賞後数日間は寝ても覚めてもこの映画のことばかり思い出されて、最も印象深かった作品。ともかくレア・セドゥに惚れた。

第2位 『新しき世界』(感想はこちら
韓国ノワール映画の傑作。韓国俳優さんにはまったく詳しくない私が、本当に面白いと思えたのだから、いかに脚本が優れていたか、いかに俳優が的確な演技をしていたかということだと思う。

第3位 『ダラス・バイヤーズクラブ』(感想はこちら
アメリカ映画は本当に観る機会が少ないのだが、これは観に行って良かったと思える作品だった。主人公のポジティブな人間性が、日本映画では描かれることの少ないキャラクターであるだけに新鮮だった。

今年も大きな仕事を抱えているので、どれだけの本数が観られるか心許ないのだが、時間をもっと有効活用して、なるべく観に行きたいと思っている。
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2014年12月28日

『百円の恋』

監督:武正晴
脚本:足立紳(「第一回松田優作賞」グランプリ受賞作)
出演:安藤サクラ、新井浩文、根岸季衣、稲川実代子、早織、宇野祥平、坂田聡、沖田裕樹、吉村界人、松浦慎一郎、伊藤洋三郎、重松収、ほか
2014年

仕事納めの翌日、疲れ切っていたものの、このところの忙しさでまったく映画館に足を運べなかったので、とにかく何か観に行きたいと思い、安藤サクラが素晴らしいと評判のこの作品を観に行って来た。疲れたまま観に行くと、情けないことに、最近ときどきウトウトしてしまうこともあるのだが、この作品は一瞬たりとも眠くならず、最後まで緊張感が続き、たいへん面白かった。

一子(安藤サクラ)は32歳。フリーターですらなく、家業を手伝うでもなく、親に寄生しているかのような暮らしぶり。離婚した妹の二三子(早織)が子連れで実家に帰ってきたが、家業をしっかり手伝う二三子とぐうたらな一子はことごとくぶつかり、ついに大喧嘩の末、一子は家を飛び出し一人暮らしを始める。百円ショップの店員というアルバイトの口を見つけた一子は、そこで深夜シフトで働き出すが、神経質すぎる店長や、古株でお喋りの男や、廃棄弁当を狙ってくる得体の知れない女など、そこで様々な人間模様を見ることになる。

帰り道の途中にあるボクシングジムで、一心不乱に練習をするボクサー・狩野(新井浩文)に、一子は心惹かれてゆく。その狩野がある日、一子の店にバナナを買いに来る。それが縁で二人は接近し、成り行きで一緒に暮らし始めるが、狩野は間もなく他の女に走ってしまう。ボクシングに魅せられた一子は、狩野の辞めたジムに通い、猛然たる迫力で練習に励むようになる。そしてこれまで自分に価値を見いだせなかった一子は、心身共に変わってゆく。

安藤サクラはまさに見物である。自堕落な日々を送る前半では、その暮らしぶりがそのまま体型にも反映し、だらしなくついた贅肉、だるそうな身のこなし、目を背けたくなるような女性だ。それがボクシングに打ち込むようになると、贅肉はそぎ落とされて、筋肉質の体になり、身のこなしも軽くなり、何より目に光が宿る。どれだけトレーニングを積んだのだろうと信じられないほどのスピード感溢れる見事な打ち方には、ただただ感心するばかり。

安藤に負けず劣らず新井浩文も、すっかりボクサーになり切った体型で、見る者を唸らせてくれた。この作品に関しては、安藤と新井がこれ以上望めない素晴らしいキャスティングだったと思う。二人の奇妙な出会いと奇妙な関係、そして奇妙ではないエンディングへと推移する脚本は、ボクシング・シーンと巧みな二重構造になっていて、飽きさせない。台詞もウィットに富んでおり、笑えるところもたくさんある。

助演俳優さんたちも、とてもよかった。主演二人以外のキャストを知らないまま観た私は、二三子を演じている女優さんは長澤まさみにそっくりだけれど、誰だろう?と思っていた。あとで名前を確認しても、早織という名前に記憶がない。そこでWikipediaなどを調べてみると、なんと「帰ってきた時効警察」で真加出を演じた小出早織だったのだ。これには本当に驚いた。そうわかってみても、まったく同一人物とは思えない。時効のときは、垢抜けない女の子という印象だったが、おそらくずいぶんスリムになり、目も大きくなったような気がする。そして演技も、常にイライラして一子に当たり散らす妹を、こちらも迫力満点で演じていた。

松浦慎一郎演じるトレーナー役と一子もなかなか良いコンビだったし、スパーリングや試合のシーンが作り物めいておらず、迫力満点だったことが、映画の質をぐんと上げていたことも確かだろう。

全体的な印象としては、底辺に近い人々を描きながらも、じっとりしておらず、むしろ爽快感があり、日本映画としては珍しいニュアンスを持った作品に思えた。強いて言えば、イーストウッド監督作品のような風味の感じられる映画だったと思う。

(2014.12.27 テアトル新宿にて)

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2014年11月09日

『リスボンに誘われて』

監督:ビレ・アウグスト
脚本:グレッグ・ラター、ウルリッヒ・ハーマン
原作:パスカル・メルシエ「リスボンへの夜行列車」(早川書房刊)
出演:ジェレミー・アイアンズ、メラニー・ロラン、ジャック・ヒューストン、マルティナ・ゲデック、トム・コートネイ、アウグスト・ディール、ブルーノ・ガンツ、レナ・オリン、クリストファー・リー、ジャーロット・ランプリング、ほか
原題:NIGHT TRAIN TO LISBON
2012年ドイツ・スイス・ポルトガル

友人が今年観た洋画の中でナンバーワンだと言っていたので、終わらないうちにと思い、観て来たが、映像の美しさとジェレミー・アイアンズの素晴らしさで、実際心に残る作品だった。

ライムント・グレゴリウス(ジェレミー・アイアンズ)は、スイスのベルンの高校で古典文献学を教える教師。妻としばらく前に離婚してのひとり暮らしだが、とりわけ波風の立たない日常を送っていた。ある雨の日、通勤途中で橋にさしかかると、今にも川に身を投げようとしている若い女性を目撃する。すんでのところで助けられた女性はライムントに、一緒に行ってもよいかと尋ねる。やむを得ず彼女を学校まで連れてきたが、やがて女性はコートを残して姿を消す。授業を中断し、彼女の後を追うライムントは、コートに残されていた1冊の本に気づく。本にはリスボン行きの列車の切符が挟まれており、迷った揚げ句、彼は授業をすっぽかし、その列車に乗り込み、ポルトガルのリスボンに向かってしまう。車中で本を読み出したライムントは、その心を打つ内容にすっかり魅せられ、著者であるアマデウ・デ・プラド(ジャック・ヒューストン)を探そうと思い始める。著者の家はほどなく見つかり、アマデウの妹アドリアーナ(シャーロット・ランプリング)と話をすることができるが、彼女は何か秘密をかかえているようだった。アマデウとは何者なのか、なぜこの本を書いたのか、姿を消した女性は何者なのか。異国の地でのライムントの真実探しが始まる。

まず冒頭のベルンの街の映像から惹き混まれる。陰鬱な雨のベルンから一転明るいリスボンへ。どちらもヨーロッパの古い町並みが非常に印象的で、歴史があるということはこういうことなのだと、しみじみ感じさせてくれる。ど派手なネオンや広告のない町並みのなんと優雅なことか。舞台となるリスボンの街の雰囲気だけで、ああ素敵な映画を観たなあという気分になる。それに、普段あまり耳にしない個人の、ライムント、アマデウ、エステファニアなどというエキゾティックな響きの名前を聞くだけで、気持が浮き立つ。

ストーリーは、自殺未遂した女性のことより、本の作者アマデウの過去をひもとくことに焦点が当てられる。女性が何者であるかは、かなり最後のほうにならないとわからない。アマデウという人物を知るには、1970年代の独裁政権下のポルトガルで、革命の機運が高まっていたことを理解する必要がある。「レジスタンス」という言葉を聞くと、第二次大戦下のフランスを真っ先に連想してしまうが、1970年代のポルトガルについての知識がほとんどなかったので、その意味でも興味深いストーリーだった。

もちろん過去をひもとくだけでなく、現代のライムントの個人的生活もこのリスボン旅行によって、徐々に変化の兆しを見せてくる。眼科医マリアナ(マルティナ・ゲデック)との出会いがあったり、滞在するホテル経営者とのちょっとしたやりとりや、授業をいつまで休む気だ?と頻繁に携帯に電話をかけてくる校長との応答など、楽しい要素もちりばめられている。エンディングは秀逸。

ジェレミー・アイアンズは、リスボンで過ごすうちに、表情にはりが出てくるライムントの変化を繊細に演じていて感動する。シャーロット・ランプリングは好きな女優さんだが、存在感が強すぎて、彼女ばかり目立ってしまったようにも思う。この人が後年のエステファニアを演じればよかったのにと、ちょっと思ったが、上流階級の雰囲気を出すためには、アドリアーナ役が彼女でなければならなかったのだろう。

(20147.11.8 新宿シネマカリテにて)

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2014年11月03日

『美女と野獣』(2014)

監督/脚本:クリストフ・ガンズ
出演:レア・セドゥ、ヴァンサン・カッセル、アンドレ・デュソリエ、イボンヌ・カッターフェルト、ほか
原題:La Belle et La Bête
2014年仏独合作

あまりにも有名なフランスの古い物語『美女と野獣』は、これまでに数多くの翻案を生み出し、映像化、アニメ化、舞台化されている。おそらく一番有名なのは、私は観ていないがディズニーのアニメなのだろう。この物語がヴァンサン・カッセルとレア・セドゥで実写化されるとあっては、観ないわけにはいかない。二人とも大好きな俳優さんだからである。実際、このキャスティングは本当に素晴らしかった。レア・セドゥは心根が優しく、美しいけれども芯が強く、好奇心旺盛な娘としてのベルを魅力的に演じ、ヴァンサン・カッセルは、悲しい過去を持ち、凶暴ではあっても愛を待ち望んでいる存在としての野獣を、情感たっぷりに演じている。二人の年齢差にもかかわらず、ラブストーリーを演じて違和感を感じさせない雰囲気作りはさすがだ。

全体として、ダークファンタジーを思わせる画作りだ。おどろおどろしい野獣の居城、それを取り巻く鬱蒼とした不気味な森だけでなく、登場人物の衣装も、多くは沈んだ配色(ベルの衣装だけは明るい色が多いが)で、贅沢な質感を感じさせるものだ。衣装は本当に見事である。薔薇の咲き乱れる城内や庭園も、美しいばかりでなく、不穏さも併せ持ったしつらえとなっている。この舞台装置が非常に気に入った。

物語は、昔話の本を母親が幼い子供に読み聞かせるという導入の仕方をとっている。子供たちが目を輝かせて話の続きをせがむように、観客にも早く続きを観たいと思わせる仕掛けだ。巷間に知られているボーモン夫人版(オリジナルのヴィルヌーヴ夫人版を縮めたもの)の物語には描かれていない野獣の過去についての描写を採り入れたことが、今作の特徴であるらしい。脚本においても演出においても、そこが苦労したポイントなのだろうが、私はそこだけが、ちょっと現代的な処理に思えて、気に入らなかった。具体的に言えば、野獣の城に出没する小さき者たちである。これが何をあらわすのかはすぐ気づいたが、CG以外の何物でもない彼らの造作に、ややシラけたというのが正直なところである。これが『ハリー・ポッター』シリーズや、アニメだったら、これでも良かったのだろうが、全体の古色蒼然としたトーンとミスマッチに思えたのである。そして、巨大な石像もそうだ。これが現代的な作り物の域を出ていないように感じる。

それ以外の点は、野獣の過去についても、なるほどと思わせる説得力があり、決して単なるお伽噺中の王子さまのように無垢な存在ではなく、傲慢だった過去の自分に常に向き合わされて苦悩する獣とされていて、物語の厚みを感じさせてくれた。

≪Plus que tout au monde.≫(プリュスク トゥート モンド)「誰よりも愛しい」、馬の耳にささやくまじないの言葉が耳に残る。

なお、『美女と野獣』はディズニーも実写版を製作中で、ベルをエマ・ワトソンが演じるとか、当初メガホンを取る予定だったデル・トロ監督が降板したとか、いくつかの噂が聞こえてきている。エマのベルも観てみたいなあと思う。

(2014.11.2 ユナイテッド・シネマとしまえん にて)

映画公式サイト
posted by すいっち at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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