2013年04月13日

『孤独な天使たち』試写会

監督:ベルナルド・ベルトルッチ
原作・脚本:ニッコロ・アンマニーティ
脚本:ウンベルト・コンタレッロ、フランチェスカ・マルチャーノ
出演:ヤコポ・オルモ・アンティノーリ、テア・ファルコ、ほか
原題:IO E TE
2012年イタリア

ベルトルッチ監督の10年振りの新作、50周年記念だそうだ。これは是非とも観たいと思い、試写会に行って来た。思い出すとあまりの懐かしさ愛おしさに泣きたくなってしまう若き日々というものが、誰にでもある。この作品は、そんな宝物のような思春期の一瞬を見事に切り取った作品だ。たまたま最近、高齢者がテーマのほんわかムードの映画を観ることが続いていたので、スクリーンに漂う空気の張りつめ方が心地よかった。映像も深みがあり、音楽も素晴らしく、あー、こういうの好きだなあとしみじみと心に沁みる作品だった。

14歳のロレンツォ(ヤコボ・オルモ・アンティノーリ)は、同年代の子たちの無邪気さに溶け込めず、学校ではやや問題児とみなされている。音楽を聴いたり、本を読んだり、干渉されない自分だけの世界にこもっていたいのだ。学校でスキー合宿が催されるのを利用して、彼は秘密の計画を行動に移す。母親にはスキー合宿に行くと嘘をつき、住んでいるアパートメントの地下室で7日間、誰にも邪魔されずに過ごそうというのだ。綿密に準備をし、地下室暮らしを始めたが、2日目に早くも静寂が破られ、異母姉のオリヴィア(テア・ファルコ)が転がり込んでくる。彼女は、大人の世界へ一歩足を踏み入れた年齢であり、その奔放さが招いたトラブルに苦しんでいた。ロレンツォにとっては、彼女は大いに迷惑な闖入者であるが、根の優しい彼は彼女を突き放すこともできない。7日間ともに暮らすことによって、二人の心にどのような変化が生まれるのだろうか。

たびたび外国映画の邦題について勝手な文句を言っているが、今回もちょっと首をかしげたくなるものだった。イタリア語の原題は"IO E TE"(イオ・エ・テ)、「僕と君」という意味だ。「イオ」も「テ」も性別がないので、「私とあなた」とも取れる。だから原題は、ロレンツォから見た「自分とオリヴィア」、オリヴィアから見た「自分とロレンツォ」という二重の意味になるはずだ。私が映画を観た限りでは、この二人を「孤独」と形容するのは違うと思う。「私は他者ではありえず、私自身でしかない」という意味においてなら、人間誰しも孤独だが、少なくとも外界から受け入れられず、愛されてもいないという意味の孤独ではない。「天使」というのも、デヴィッド・ボウイによる挿入歌の歌詞からとったのだろうが、日本人に誤った先入観を与える言葉だと思う。もうちょっと叙情的でない邦題がつけられなかったものか。

二人がそれぞれ抱えているものに差こそあれ、地下室という舞台に象徴されるように、暗い場所から出る道筋を模索していることは共通している。そういう意味では似たもの同士であり、本能的に互いの辛さがわかるのだ。個と個だった二人が融合するシーン(性的な意味ではない)の素晴らしさにため息が出た。そのシーンにかぶさるデヴィッド・ボウイの歌「ロンリー・ボーイ、ロンリー・ガール」(イタリア語歌詞)が甘美だ。

ストーリーのほとんどが、地下室で展開してゆくが、光の表情がいくつもあり、映像の質感も見事だ。主演二人はとてもよかったし、特にテア・ファルコの迫真の演技には感嘆するよりほかない。ロレンツォがオリヴィアに対して抱く性的興味一歩手前の思慕のような感情が繊細に描かれていたし、二人の繋がりをそれとなく示唆する祖母の存在も印象深い。

(2013.4.12 なかのZERO大ホールにて)

映画公式サイト
posted by すいっち at 02:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月11日

『カルテット! 人生のオペラハウス』ジャパンプレミア試写会

監督:ダスティン・ホフマン
原案:『トスカの接吻』(ダニエル・シュミット監督のドキュメンタリー映画、1984年製作)
脚本:ロナルド・ハーウッド
出演:マギー・スミス、トム・コートネイ、ビリー・コノリー、ポーリーン・コリンズ、マイケル・ガンボン、ほか
原題:Quartet
2012年イギリス

登壇者:ダスティン・ホフマン監督

ダスティン・ホフマンの初監督作品ということと、お気に入りのマギー・スミス主演ということで興味を持っていたら、嬉しいことにジャパンプレミアに当選した。会場が劇場ではなくイイノホールだということで、意外に小規模な試写会だと思っていたら、会場には多数の著名人、舞台挨拶前のイベント、『卒業』以来の熱心なダスティン・ファンである観客たち、これらの要素が相まって華やかな試写会となった。確認できたところでは、辰巳琢郎、山本晋也監督、今陽子、朝丘雪路、叶姉妹の顔が見えた。辰巳琢郎は背が高く細くて格好いい。朝丘雪路はテレビで見るより美しく、まったく年齢を感じさせない。全席指定で、開場の時間前から招待状を座席指定券に交換するシステムだったので、交換開始時刻から30分後くらいに行ったところ、前から7列目の中央というとてもよい座席だった。

MCはまたも伊藤さとり。ホフマン監督が21年振りの来日であること、舞台挨拶の後、監督が観客と一緒に映画を鑑賞することなどが知らされる。映画の内容にちなんで、高年者混声合唱団である“ムジカおさらぎ”の団員さんたちが100名余りも登場し、映画の冒頭でも使われているオペラ『椿姫』からの「乾杯の歌」を披露。続いてオペラ歌手の中丸三千繪が『トスカ』のアリア「歌に生き、愛に生き」を歌い、「ダスティン・ホフマン監督が、オペラ歌手の生々しい現実の姿を伝えた作品」だと感想を述べる。

さていよいよ監督登場。客席の後部ドアから階段を下りてくると、客席からは大拍手。通路近くの人が求める握手にも気軽に応じつつ登壇する。登壇すると客席から「ダスティーン!」と声をかけられ「ありがとう」と日本語で返す。映画についてのコメントはすでにWeb記事でも紹介されているが「この映画に関わりだして3年にもなりますが、このような歓迎ぶりに接して、もっともっと長く続くといいなと思いました」と切り出す。先ほどの合唱についてはWonderful! と繰り返し、「ちょっと悲しくなったのは、この中で一番年取っているのは僕だということ」と冗談も言う。いや、どうしてどうして、髪こそ白くなったものの、表情は昔とちっとも変わらず、美しく年を重ねていて、どう見ても75歳とは思えないのだ。むしろ私は『卒業』の頃はあまりビジュアルの好きな俳優さんではなかったが、この年齢になって非常に味のあるよい顔になったと感じる。また「皆さんの顔を覚えていますよ。『卒業』をやった頃から皆さんいらしていると思いますから」と日本での『卒業』の人気の高さをちゃんと踏まえた軽口も飛び出した。

初監督のいきさつについては、「昔から監督には興味がありましたが、勇気がありませんでした。たまたまエマ・トンプソンと共演したとき、撮影監督が脚本を持ってきて、決まっていた監督が辞めちゃったので、やってみたらどうかと言われました。妻に相談すると、“これを監督しないなら離婚するわ”と言われたので、“これが成功しなかったら僕が君と離婚するよ”と答えました」と説明。

キャスティングに関しては、「脚本をもらったとき、すでにマギー・スミスや何人かのキャストは決まっていたのですが、他の人たちはぜひ本物のオペラ・シンガーや演奏家を出したいと思ったのです。その人たちを脇役じゃなくて、前面に出したいと。彼らはまだ本当に演奏ができるのに、20年間仕事がないということでした。日本は違うかも知れませんが、年老いたミュージシャンに仕事を与えないというよくない風潮があります。彼らは出演を本当に喜んでくれました。僕が彼らに贈り物をしたし、素晴らしい贈り物を彼らから受け取った気持です」と述べ、感極まって言葉が途切れ、涙ぐむ場面もあった。「俳優ではない皆さんには、演技をするなと言いました。自分がそのときそのときに感じていることを自然に撮りましょう。年取るというのはどういうことなのかをすべて撮りましょうと言いました」とも。

最後に映画について一言とうながされると、「よい喩えがあります。僕はiPhoneを持っているんですが、写真を撮ろうとしてうっかり自分撮りにリバースさせてしまうことがあって、変な老人が写っているなと思うと自分だったりする、そういう映画です」と締めくくった。

さて映画であるが、ダスティン・ホフマン監督の人柄(実際には知らないけれど、ご本人から受ける印象で)どおりの、とても温かい楽しい作品だった。

舞台はイギリスの穏やかな田園風景の中にたたずむ“ビーチャム・ハウス”。引退した音楽家たちが暮らす老人ホームである。セドリック(マイケル・ガンボン)が音頭を取って、毎年恒例となっているガラ・コンサートのための準備に余念のない入居者たち。ミーティングがあることを忘れたり、歌詞が覚えられなかったりと、高齢者ならではのハンディーはあるものの、皆かつては舞台で脚光を浴びた人たちだ。お喋りで女好きのウィルフ(ビリー・コノリー)、学生に音楽の講義を行ったりもしている物静かなレジー(トム・コートネイ)、少女のように無邪気で明るいシシー(ポーリーン・コリンズ)は、昔カルテット仲間だった3人だ。今回のガラ・コンサートが成功しないと、ホームは資金繰りに行き詰まり、閉鎖されるかも知れないという危機的状態にある。そこへ、かつてのオペラの大スター、ソプラノのジーン・ホートンが入居してくる。その強烈なエゴから周囲を傷つけまくった女性であり、カルテットの4人目のメンバーでもあった。コンサート成功のために、ジーンを引き入れて、カルテットを復活させようと目論むウィルフやシシーであったが、ジーンは高い声が出にくくなった時から歌を封印してしまっていた。なまじ過去の栄光があるために、みっともない歌を人に聴かせることは絶対に嫌なのである。果たして伝説のカルテットは復活するのだろうか。ビーチャム・ハウスはどうなるのだろうか。

伝説のカルテットだった4人はいずれも俳優が演じているが、その他のハウス住人たちは、ほとんど実際の音楽家たちだった人だ。いや、それは語弊がある。現在でも立派に演奏のできる人たちばかりなのに、一線で活躍する場を与えられていない人たちなのである。クラシック音楽がテーマの作品ということで、随所に名曲が出てくる。それを演奏する入居者役の音楽家たちが素晴らしい。年輪を重ねた音色というのはこういうものかと聴き惚れてしまう。この音楽だけでも、この作品を観て得をした気分にさせてくれる。もちろん、クラシックに興味のない人も楽しめるようなアレンジ(曲のアレンジではなく、ストーリーへの音楽のはさみ方といった演出上の工夫)がなされているので、堅苦しい物ではまったくない。アン・ラングレーというジーンのライバルだった歌手を演じたのは、本物の優れたソプラノ歌手ギネス・ジョーンズで、彼女は素晴らしいアリアを聴かせてくれた。

イギリスの田園風景も目を楽しませてくれる。ビーチャム・ハウスとして登場するのは、ロンドン郊外のタプロウ村にあるヘッソー・ハウスという邸宅だそうだが、ここが本当に素敵なロケーションだ。内装も実に居心地良さそうな雰囲気に作り上げられている。こんな老人ホームなら、私も入りたいくらいだ!

4人のキャラクター設定はやや類型的な気もするが、ポーリーン・コリンズの演じるシシーは素敵な存在だった。認知症があるらしく、記憶に難はあるものの、可愛らしく、人を憎んだり恨んだりせず、明るさを振りまいてくれる女性だ。マギー・スミスもやはり彼女にしか出せない存在感を見せ、往年の大スター振りを的確に演じている。足の綺麗なこと!ただ、しばらく前に観た『マリーゴールド・ホテルで会いましょう』での役と似たような性格なので、やや既視感があった。

高齢者を描く以上、どうしても身につまされるシーンもあり、変調を来したシシーに対してジーンがとる行動には、深く頷きもしたし、ホロリとさせられた。

エンドロールは必見である。各音楽家たちの若き日の写真が次々に映し出され、そしてマギー・スミスを始めとする俳優たちの若き日の姿も見ることができる。映画を観る前は、4人の歌声はどう録ったのだろう?吹替だろうなあと思っていたが、これが思わぬ演出の妙で、見事な結果を生み出している。

(2013.4.8 イイノホールにて)

映画公式サイト以下ネタバレあり
posted by すいっち at 00:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月03日

『天使の分け前』試写会

監督:ケン・ローチ
脚本:ポール・ラヴァティ
出演:ポール・ブラニガン、ジョン・ヘンショー、ガリー・メイトランド、ウィルアム・ルアン、ジャスミン・リギンズ、シヴォーン・ライリー、チャーリー・マクリーン、ロジャー・アラム、ほか
原題:THE ANGEL'S SHARE
2012年イギリス、フランス、ベルギー、イタリア

ケン・ローチ監督の新作ということと、チラシデザインの秀逸さに惹かれて、試写会に行って来た。2012年のカンヌ国際映画祭で、審査員賞を受賞した作品である。なぜかいつもタイミングをはずして、ケン・ローチ監督作品は、有名な『麦の穂をゆらす風』さえ未見だ。唯一観たのは2007年の『この自由な世界で』だけで、それが繊細にしてシリアスな作品でとてもよかったので、今作も期待していたのだが、ちょっと肩すかしを食らった気がする。

一番最初にこの映画のタイトルを目にしたときは、また日本人向けに「天使」なんて言葉をタイトルに使っちゃって!と、冷ややかな気分でいたが、そうではなかった。原題がそもそも「天使」という言葉を使う表現だったのだ。「天使の分け前」とは、熟成を要する酒が樽内で熟成中に蒸発して失われる量のことを言うそうだ。全編を観ると、このタイトルが映画の内容を的確に表していることがよくわかる。

舞台はスコッチ・ウィスキーの故郷スコットランド。ロビー(ポール・ブラニガン)は、職もまともな家もなく、喧嘩沙汰を繰り返す若者。彼は傷害事件を起こしたが、裁判結果は収監ではなく、30日間の社会奉仕というものだった。恋人レオニー(シヴォーン・ライリー)のお腹にはまもなく生まれる赤ん坊がいたので、情状酌量されたのである。社会奉仕活動の監督ハリー(ジョン・ヘンショー)は、ウィスキーの愛好家でもあり、ロビーは彼からウィスキーの楽しみ方の手ほどきを受け、自分にテイスティングの才があることに気づき、ウィスキーにのめり込んでゆく。ハリーが社会奉仕活動に従事するロビーたちを、ウィスキーの蒸留所に見学に連れて行ったときに、超高級ウィスキーがオークションに出されることを知る。ロビーは、恋人と生まれた息子とのまっとうな生活を築くために、なんとか大金を稼ごうと考え、一世一代の大勝負に出る。

前半は、ロビーのすさんだ生活ぶりを描き、「ハートフル・コメディ」という解説が間違いかと疑うほどのシリアスな展開。中盤からそれがガラッと様相を変え、それぞれキャラクターの立った社会奉仕活動仲間3人が登場する。台詞はスコットランド方言のため、特に語尾の方がまったく聞き取れない上に、単語一つ一つにいちいちfour-letter wordがはさまれているんじゃないかと思うほどの悪い言葉遣いにちょっとゲンナリする。ネイティブの人が聞いたら、きっとこの台詞が傑作なのだろうが、その面白さまでは残念ながらわからない。

ポール・ブラニガンは演技が未経験だったが、脚本家に見出され、ゴーチ監督に主演に抜擢されたそうだ。若者4人はあまり手垢のついていない俳優さんたちばかりなので、そこが新鮮でよかったと言えるだろう。キャラクターの中では、ガリー・メイトランドの演ずるアルバートがよかった。モナ・リザもアインシュタインも知らない無学な青年だが、時折無意識に発する言葉がたまたま真実をついていることがあって可笑しい。

また、ウィスキーの製造過程や、熟成樽のことなど、知らなかった面白いシーンがたくさんあるし、スコットランドの風景も心地よい。ただ問題はストーリー。親身になってくれる人との出会いや、息子誕生によって、だんだん生き方を変えてゆくロビーが描かれているが、私はどうしても主人公に共感を覚えることが出来ず、また結末も納得できなかったので、微笑ましい映画という見方が出来なかった。超高価なウイスキーをめぐって馬鹿馬鹿しい金額がやりとりされる風潮を皮肉ってもいるのだろうが、コメディになりきれていない気がした。

(2013.4.2 科学技術館サイエンスホールにて)

映画公式サイト
以下ネタバレあり
posted by すいっち at 14:13| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月01日

『ある海辺の詩人-小さなヴェニスで-』

監督・脚本:アンドレア・セグレ
出演:チャオ・タオ、ラデ・シェルベッジア、マルコ・パオリーニ、ロベルト・シトラン、ジュゼッぺ・バッティストン、ほか
原題:IO SONO LI(英題:SHUN LI AND THE POET)
2011年イタリア、フランス

「小さなヴェニス」と呼ばれるイタリアの町が舞台というだけで観たいと思った作品だ。ヨーロッパでは、2011年ヴェネツィア国際映画祭のFEDIC特別賞(イタリア・シネクラブ賞)をはじめ、いくつもの賞に輝いた作品でもある。非常に叙情的な美しい映画だった。

イタリア語の原題は「私はリー」という意味で、これは主人公の女性の名がシュン・リーであることから来ている。英題には「詩人」という単語が含まれている。面白いので各国での公開タイトルを調べてみると、スペイン語タイトルは"La pequeña Venecia: Shun Li y el poeta"(小さなヴェネツィア:シュン・リーと詩人)、フランス語タイトルは"La petite Venise"(小さなヴェネツィア)となっていた。邦題は、舞台となるのが海辺の町なので、そのニュアンスをさらに追加したものになっている。

シュン・リー(チャオ・タオ)は8歳の息子を中国に残し、単身イタリアに働きに来ている。詳細は描かれないが、どうやら借金を返すために不利な労働条件に甘んじざるを得ない境遇のようだ。借金を返してお金を貯めないと、息子と一緒に暮らすことも叶わない。ある日、中国人の元締めに言われるままに、シュン・リーはイタリアの小さな漁師町キオッジャにやってくる。海辺の小さな酒場(オステリア)であるパラディーゾで働くためだ。パラディーゾは地元の人たちの集いの場であり、やってくる客は思い思いにカードゲームに興じたり、新聞を読んだりしつつ酒を酌み交わしている。初老の漁師ベーピ(ラデ・シェルベッジア)もそんな客の1人だが、詩を自作したりもする心優しい男だ。同じく詩を心の拠り所としているシュン・リーとベーピは徐々に心を通わせるようになる。しかし、小さな町のこと、二人の接近を快く思わない人々も多く、また中国人の元締めもシュン・リーを、イタリア人と仲良くしてはいけないと脅す。息子を人質にとられているも同然のシュン・リーは従わざるを得ず、キオッジャを離れ、また別の町に働きに行くことになる。二人は再び心を通わせることができるのだろうか。シュン・リーは息子と再会できるのだろうか。

小さなヴェニスと言うだけあって、キオッジャは本当に美しいところだ。目の前はラグーナ(潟)なのに、背後には雪をいただいたアルプスが見える。町には運河が流れ、昔ながらの建物が建ち並ぶ。水位が高くなるときには、町が海水に浸ることもある。こういうロケーションの地に、まさに異邦人という印象の中国女性。片言のイタリア語しか話さず、あまり表情を変えないで黙々と働くシュン・リーはやや不気味でさえある。主演のチャオ・タオはどこかで見た顔だと思ったら、ジャ・ジャンクー監督の『長江哀歌』に出ていた女優さんだった。無表情に見えて、時折見せる少女っぽい笑顔が印象的だ。ベーピは長年イタリアで暮らしているが、出自はスラブ系移民である。ともに生まれ故郷ではない地に暮らすという一種の孤独感が二人を結びつける要素のひとつであるのだろう。酒場での男たちの喧噪、シュン・リーの淡々とした仕事ぶり、ラグーナの静かな眺め、これらが巧みに配されていて、静かな中にも緩急をつけた脚本となっている。少ない台詞とシーン数で、中国マフィアかも知れない元締めの恐ろしさを描くやり方も巧みだ。感情を押し殺したシュン・リーのたたずまいが非常によかった。ジャ・ジャンクー作品ほどの力強さは感じないが、全体的なニュアンスは『長江哀歌』とよく似ている気がした。ただ、それは水というテーマが共通していることと、主演女優が同じというためだけかも知れない。クライマックスのシーンでの音楽が哀感に満ちて、とても心に響いた。

(2013.3.31 シネスイッチ銀座にて)

映画公式サイト

以下ネタバレあり
posted by すいっち at 03:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。