2014年02月24日

『17歳』

脚本・監督:フランソワ・オゾン
脚本:マーク・ヘイマン、アンドレス・ハインツ、ジョン・マクラフリン
出演:マリーヌ・ヴァクト、ジェラルディン・ペラス、フレデリック・ピエロ、シャーロット・ランプリング、ウィノナ・ライダー、ほか
原題:JEUNE & JOLIE
2013年フランス

オゾン監督の前作『危険なプロット』がたいへん面白かったので、今回も期待して観に行った。前評判も上々、ヒロインは「若くきれいな」という原題通りの魅力を持った女優さんだったが、全体的な感想としては、意外にあっさりしていたことに物足りなさを感じたというところか。

夏休みを海辺で過ごすイザベル(マリーヌ・ヴァクト)一家。水着姿で浜辺に寝そべるイザベルはまもなく17歳の高校生。遠くから双眼鏡でイザベル見つめる義弟のヴィクトル。ドイツ人の男の子と知り合ったイザベルは、母と義父との目を盗んで夜彼とのデートに出かけ初体験をするが、それを冷静な目で見つめるもうひとりの自分がいる。ドイツ人の彼とはそれっきり。秋になり、パリの高級ホテルに舞台が移る。部屋をノックするのはスーツに身を包んだ、20歳のソルボンヌの学生レア。しかしそれはイザベルが年齢名前を偽った姿だった。彼女はネットで相手を探し、不特定多数の男と関係を結んで金銭を得ていたのだ。つまりは娼婦。冬、互いに惹かれ合った年配のジョルジュと何回目かの逢瀬の際に、とんでもないことが起こる。

背中にあばら骨が浮き出るほど、まだ成熟手前の若い肉体を持つ17歳。だから執拗に繰り返される性愛シーンも、エロティシズムからはほど遠い。かといって、若すぎる女性が娼婦に身を堕としてゆくといった痛々しさは、これまた全く感じない。イザベルの行動がさらりとしすぎていて、何か引っかかりがないのだ。彼女をさらさら流れる水のように描くのは、監督の狙いだったのかも知れない。その代わり、彼女を取り巻く人々のほうはどの人もある程度の熱を持っているように見える。義弟の視線は興味深いが、これは時々あらわれるだけで、またすぐ別の視点に移って行ってしまうので、ちょっと散漫さを感じる。イザベルの母、義父、さらにはイザベルが関係を持つ男たちは非常にうまく描けていると思った。

よく言われるところの「自分探し」の時期を描いた映画なのだとすれば、それはありきたりすぎてつまらない。原題の"JEUNE & JOLIE"は、イザベルその人を形容したものというより、むしろ他者からのイザベルに対する視線に思える。大人たちから見れば、イザベルは絶対的な若さ・綺麗さとともに、相対的な若さ・綺麗さを持った存在だ。そこにはそれぞれが経験してきた時代・若かりし自分との邂逅があるのだと思う。義弟に代表される若い男から見れば、彼女は美そのものだろう。すなわちイザベルは実体を持った人というより象徴とも言える存在だ。

彼女がなぜ娼婦になったかについては、説明的な要素はないので想像の域を出ないが、純粋な意味でお金を貯めたかったからではないかと私は思った。肉体を売って金を稼ぐという意識は希薄で、労働に対して報酬をもらうという感覚に近いのではないだろうか。けれども、客のひとりに心を惹かれたたことから、少しずつ意識に変化が訪れ、彼女は現実感を身にまとうようになってくる。

キャストでよいと思ったのは、何と言っても義父役のフレデリック・ピエロだ。義娘に娘としての愛情を持ちながらも、若い女の子の感情の変化や行動を理解しきれずとまどう父親像をとてもうまく演じている。一見サエない中年オヤジなのだが、母親に再婚したいと思わせただけの魅力をたたえた男性に見えた。

エンディングのほうで、シャーロット・ランプリングが登場するが、そのシーンがどう考えても現実にはありえそうもない話だったので、最終的にはこの物語がお伽噺のようなものに私には思えてしまい、物足りない気がしたのはそこではないかと思った。

(2014.2.19 新宿ピカデリーにて)

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以下ネタバレあり
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2014年02月16日

『ラッシュ/プライドと友情』

監督:ロン・ハワード
原案:アンドレス・ハインツ
脚本:ピーター・モーガン
出演:ダニエル・ブリュール、クリス・ヘムズワース、オリヴィア・ワイルド、アレクサンドラ・マリア・ララ、ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ、クリスチャン・マッケイ、ほか
原題:RUSH
2013年アメリカ・ドイツ・イギリス合作

昔からF1レースが好きだった私は、これがF1を題材にした映画で、しかもF1ドライバーを俳優が演じると知って、かえってあまり見たくないなあと実は思っていた。あのレースの迫力と緊張感を俳優が出せるものだろうかと懐疑的だったからである。けれども、レビューが好評なので、それじゃあ観に行ってみようかと腰を上げた。

ニキ・ラウダ(ダニエル・ブリュール)とジェームス・ハント(クリス・ヘムズワース)という実在のF1ドライバー(ハントは1993年に死去)の対決というストーリーは、フィクションかと思うほど劇的なものであり、映画の題材にするにはうってつけだったということもあるが、レースやマシンの見事な再現性、主演二人のレーサーぶり、どこを取っても満足のいく仕上がりだったと認めざるを得なかった。カーレースに興味のない人にも、十分面白いと思ってもらえる作品だと思うし、もちろん昔からのカーレース・ファンには、1970年代のマシンやサーキットの様子など、懐かしさいっぱいの映像に堪能させられるだろう。私がF1に関心を持ったのは、彼らの次の世代といえるアラン・プロスト全盛の頃なので、ラウダとハントのライバル対決のことはほとんど知らなかったが(ラウダが大事故に遭ったという知識くらいしかなかった)、すんなり話にはとけこめた。

70年代半ば、絶頂期のハントと新進のラウダ。正反対の性格と生活信条を持つ二人は、人前で喧嘩もするし、罵詈雑言の応酬もする。二人の間にあったものはありきたりの「友情」というものではなかった。レーサーとしては常に敵同士である。しかし、相手の存在によって自らが鼓舞されるライバル関係を支えるのは、互いに対する目に見えない尊敬の念だ。この面が非常にうまく脚本に織り込まれていた。

1976年のシーズン。ドライバーズ・チャンピオン争いは、序盤からラウダがどんどんポイントを稼いでいて、ハントが後を追っていたが、ラウダの年間チャンピオンがほぼ確実視されていた。8月のドイツGP、最悪の天候の中強行されたレースで、ラウダがクラッシュ。炎に包まれ、ラウダは瀕死の重傷を負う。一時は牧師が枕元に呼ばれるほど重篤な状態だったが、彼は壮絶な治療の末に奇跡の生還を果たし、なんと6週間後のレースに復帰し、4位という好成績を収める。ラウダが入院しているうちにハントはポイントを稼ぎ、ラウダに3ポイント差まで肉薄していた。最終戦富士スピードウェイで行われる日本GPでラウダに4ポイント差をつければ、ハントは年間チャンピオンになる。運命の決戦の日、富士スピードウェイは豪雨。二人の運命のシグナルが青になる。

典型的なプレイボーイのハントと、真面目いっぽうのラウダ。この二人の性格の違いをあらわすエピソードが巧みに織り込まれた脚本がうまい。当時の二人の写真を見ても、ブリュールとヘムズワースのなりきりぶりは大したものだ。とりわけへムズワースの良さにびっくりした。マイティー・ソー役のへムズワースは、実は私はあまり買わない。顔が優しすぎて、強そうに見えないのだ。それにひきかえ、レース以外は酒と女に明け暮れるが、内面に繊細さのあるハント役は、本当にぴったりだった。ヘアスタイルも良かったかも知れない。ブリュールもその喋り方までもが、冷静なラウダにぴったりだ。

レースのシーンが何と言っても見応えがある。スピード感と耳をつんざく爆音に、やはり大きなスクリーンで観てよかったと感じた。いわゆるレース中継ではないので、カメラのアングルにかなりの工夫の跡が見られた。どう撮ると迫力があるか、どう撮ると格好いいか、その計算を重ねてできた映像だと思う。

(2014.2.15 ユナイテッド・シネマとしまえん にて)

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2014年02月04日

『ほとりの朔子』

監督・脚本・編集・コプロデューサー:深田晃司
出演:二階堂ふみ、鶴田真由、太賀、古館寛治、杉野希妃、大竹直、小篠恵奈、渡辺真起子、志賀廣太郎、松田弘子、想田和弘、ほか
仏題:Au revoir l'été
2013年

二階堂ふみが主演なので見ようと決めていた作品。フランスのナント三大陸映画祭2013でグランプリなどを獲得し、前評判もよい。チラシや映画公式サイトに使われている二階堂ふみが水の中にたたずんでいるシーンが本当によかった。その写真がすべてを物語っている。大人になる直前の女の子を、実にみずみずしく描いた作品だった。ナントの映画祭にはフランス語のタイトル≪Au revoir l'été≫(「さようなら 夏」の意味)で出品された。日本での上映は、海外映画祭と同じバージョンらしく、英語の字幕がついていて、それがやや邪魔だった。

朔子(二階堂ふみ)は、ガリ勉でありながら大学受験にことごとく失敗し、一種の放心状態、何にも興味を持てない日々を送っている。口うるさい両親から逃れるように、美しい叔母・海希江(鶴田真由)に誘われるままに、もうひとりの伯母・水帆(渡辺真起子)が海外旅行で留守になる家に夏休みを過ごしに来た。この海にほど近い町で、朔子はいろいろな人と出会う。水帆の昔からの知り合い・兎吉(古館寛治)とその娘・辰子(杉野希妃)、兎吉の高校生の甥・孝史(太賀)などである。海や川を散策したり、他愛ない話をするうちに、徐々に朔子と孝史の距離は縮まってゆく。しかし、海希江の恋人が現れたり、孝史には好きな人がいるらしいとわかったり、そのたびに朔子の心には小さなさざ波が立つ。

とりたてて何か大きな出来事が起こるわけではない。朔子が何かをきっかけに大きく飛躍するのでもない。ただ、どこにでもあるような、日常の小さなかけらを真摯に見つめる時間が持てたことで、朔子はひとまわり成長してゆく。しらけてはいないのだが、一見しらけて見える朔子。感受性がとくに鋭いとまでは言えないが、少女時代の終わり頃に特有の、外界との距離の測り方を身にまとった朔子は、モラトリアムという意味で、まさに等身大の青春を体現しているように思える。

ここ数年、青春映画として優れた作品は多い。『天然コケッコー』『きみの友だち』『横道世之介』や『桐島、部活やめるってよ』などがそうだ。けれども、『ほとりの朔子』がそれらの青春映画と決定的に違うのは、エロティシズムの面だと私は感じた。二階堂ふみの健康で媚びていない肢体をカメラが独特のアングルで狙う。ショートパンツをはいた朔子が2階へ上がってゆくのを下から捉えたカメラには、思わず息を飲んでしまうような爽やかなエロティシズムを感じた。男性目線だとどう感じるのかはわからないが、露出度の多いリゾート・ファッションや、水着姿、一度だけ見せたアップに結ったヘアスタイルなど、計算し尽くされた美がある。成熟した大人の魅力を見せる鶴田真由と並ぶとまだほんの子供にも見える二階堂だが、この年齢にしか出せないまぶしさがスクリーンにいっぱいに広がっていた。それだけでも、観た甲斐はあった。

孝史を演じる太賀もよかった。大河ドラマ「八重の桜」で演じた徳富健次郎役は、あまり丁寧に描いてもらえなかったように思うが、この作品では十分に力を発揮できたのではないだろうか。孝史がこの町にやってきた経緯が終盤で明らかになるが、ある集会での孝史のスピーチの場面は素晴らしいと感じた。

海希江の恋人・西田(大竹直)は、こういう男っているいる!と言いたくなる嫌らしい人物像だ。海希江のような知的で仕事もバリバリやっている女性は、西田のような男にうっかり惚れがちなものだと、非常に共感を覚える設定でもあった。人間観察の鋭い脚本だと、そこにとても感心した。素敵な作品だったが、125分はやや長いかなという印象で、もっと削ぎ落とせるのではないかとも思う。

(2014.2.3 シアター イメージフォーラムにて)

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2014年02月01日

『スノーピアサー』ジャパンプレミア試写会

監督:ポン・ジュノ
原作:「LE TRANSPERCENEIGE」ジャン=マルク・ロシェット、ベンジャミン・ルグランド、ジャック・ロブ
出演:クリス・エヴァンス、ソン・ガンホ、ティルダ・スウィントン、ジェイミー・ベル、オクタヴィア・スペンサー、ユエン・ブレムナー、コ・アソン、ジョン・ハート、エド・ハリス、ほか
原題:
2013年 韓国、アメリカ、フランス

大変前評判の高い作品で、ポン・ジュノ監督だから凄そう!観たい!と思って試写会に応募したところ、ラッキーにもポン・ジュノ監督が舞台挨拶するジャパンプレミアが当たった。会場は意外に小さなところだったので満席となり、入場できない人もいたそうだ。

舞台挨拶のMCは伊藤さとり。すぐポン・ジュノ監督もあらわれる。写真でしか知らなかったが、声が素敵で、40歳を越しているとは思えないくらい若い。挨拶の内容はすでに各所で記事になっているので書かないが、クリス・エヴァンスやジェイミー・ベルの起用の理由などとても真面目にいろいろ話をしてくれた。日本には鉄道ファンが多いので、興味を持ってもらえるのではないかと言っていたが、韓国はそうでもないのだろうか。途中から森脇健児と安田大サーカスの団長安田がゲスト登壇し、俄然しらけてしまった。いつになったら、映画と何の関係もないお笑いの人のゲスト登壇をやめるのだろう。お笑いを否定するわけではないが、場違いの感をぬぐえない。今回も、狭い会場なのに大声を張り上げて喋りまくり、耳が痛いほど。『スノーピアサー』第3弾を撮る暁には、自分たちを出演させてほしいと言い出すに至っては、ギャグだとわかっていても、あまりにバカバカしくてうんざりした。監督にもっと映画のことを喋ってもらいたかったのに、まったく時間の無駄だと思うし、監督にも失礼なのではないだろうか。団長が香川照之に似ているという話はちょっとウケたが、監督が「半沢直樹」を知らないのに、その真似をやったって意味ないだろう。この類いの映画宣伝のやり方には、大いに疑問がある。

さて肝心の映画の話に移ろう。『スノーピアサー』は近未来SFエンターテインメントと位置づけられている作品だ。地球温暖化を食い止めるために2014年に大気圏に人工冷却物質が散布されたが、そのために地球は冷えすぎて氷河期が到来してしまったのだ。永久機関を備えて走り続ける列車「スノーピアサー」に乗り込んだ乗客だけが生き残り、外の世界では生物は死に絶えてしまう。様々な国の人を乗せた列車は、地球を1年かけて一周し、止まることはない。列車内で自給自足が実現されているのだが、実は列車には、厳しい階級格差があった。先頭車両には富裕層、後方車両には貧困層と各階層の居住場所が決められており、富裕層が絶対君主の立場にあった。虐げられる貧困層の人々はいつの日か格差社会を打ち壊そうと機会を狙っていたが、2031年ついにその日がやってくる。

原作はフランスの漫画で、相当荒唐無稽な話なのだが、脚本のうまさと、名だたる俳優たちのおかげで、迫真の物語が出来上がっている。主人公は、後方車両を統率するリーダー、カーティス(クリス・エヴァンス)。長老として後方車両の精神的リーダーの役割を果たすのはギリアム(ジョン・ハート)。幼い息子のために戦う強い母親ターニャ(オクタヴィア・スペンサー)や、カーティスの右腕エドガー(ジェイミー・ベル)も主要人物だ。監獄車両に入れられている列車セキュリティー設計者のナムグン・ミンス(ソン・ガンホ)とその17歳の娘ヨナ(コ・アソン)。列車は17年間走り続けているために、ヨナは列車で生まれた子であり、外の世界を知らない。富裕層のほうには、スノーピアサーの創造者であり列車の最高権威者ウィルフォード(エド・ハリス)、ウィルフォードの片腕の総理メイソン(ディルダ・スウィントン)、不死身のスナイパー・フランコ兄弟の兄(ウラド・イヴァノフ)などがいる。これらの登場人物が極めて個性的である。とくにティルダ・スウィントンには度肝を抜かれた。つい先日『オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ』で見た美しき吸血鬼と同一人物が演じているとは到底思えない。メイソンの存在は、血なまぐさく過酷な列車内に強烈なコミカル要素をたたきつけてくれる。そして、やはりソン・ガンホ。意外に登場シーンが多くはないのだが、この人のおかげで作品に命が吹き込まれたと言っても過言ではない。

単なる善と悪の対立構造でないところに、この映画の一番の魅力があるのだろう。冒頭では貧民層の惨劇ばかり見せつけられるが、後半になると、なぜ列車が階級社会であるかの理由が分かってくる。

狭い車内のみの撮影というのは困難を極めただろうと思うが、巧みに車内調度と人物を配し、まったく不自然さを感じない。富裕層が使用する様々な車両(水族館、小学校、サロン、プール、クラブなど)が見られるが、これに多くの時間を割かなかったのが正解だったと思う。大変強烈で、大変面白い作品だったが、凄まじいバイオレンス要素がちょっと辛く、フランコ兄の不死身ぶりがちょっとリアリティーがなさすぎてしらけてしまう気分だった。一番びっくりしたのは、挿入歌にCREAMの"STRANGE BREW"が流れたことだ。大好きなナンバーだが、意外な選曲だったので理由を聞いてみたいものだ。

(2014.1.29 角川シネマ有楽町にて)

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posted by すいっち at 09:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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