2014年05月08日

『そこのみにて光り輝く』

監督:呉美保
脚本:高田亮
原作:佐藤泰志『そこのみにて光り輝く』(河出書房刊)
出演:綾野剛、池脇千鶴、菅田将暉、高橋和也、火野正平、伊佐山ひろ子、田村泰二郎、ほか
2014年

旬の俳優たちを起用し、彼らそれぞれの持ち味を生かし切った大変素敵な作品だった。原作は、若くして自ら命を絶った佐藤泰志の同題小説。三島由紀夫賞候補作という。読んではいないが、読まなくてもいいやと思わせる映画だった。それは、映画がつまらないから、原作まで読む気にならないというケースとはまったく違う。もちろん原作と映画とでは、様々な要素に相違点があるのが自然だが、この映画は映画として完全に価値を持って存立し、物足りなかった、あるいは不明な部分を原作を読むことで補いたいと思わせる要素が皆無だったのだ。それほど、ストーリー、キャスト、舞台背景、衣装、カメラワーク、そして絵そのものが過不足なく観る者の心にストレートに飛び込んできた。

舞台は函館。仕事もせず、毎日パチンコをするか飲むかという無気力な生活を送る若者・佐藤達夫(綾野剛)。自堕落というのではなく、心の奥に何かを抱えていそうな人物だ。ある日達夫は、パチンコ屋で粗暴だが愛嬌のある青年・大城拓児(菅田将暉)と知り合う。強引に誘われるままに拓児の家に行くと、そこは海辺のバラックのような一軒家で、家には自堕落そうな母親(伊佐山ひろ子)と、寝たきりの父、そして姉の千夏がいた。一目で千夏に惹かれた達夫であったが、千夏は家族を養うため、いかがわしい仕事をして金を稼いでいる女性だった。拓児が現在置かれている状況や、寝たきりの父親の問題などが徐々に明らかになってきて、社会の底辺で生きる家族模様に接するうち、達夫の気持ちに少しずつ変化が訪れ、千夏に対する思いがどんどん強くなってゆく。辛い過去の出来事で仕事を辞めた達夫と、泥沼の現状から抜け出すすべの見つからない千夏との愛は、どのような軌跡をたどるのか。

メインの俳優が綾野、池脇、菅田の三人で本当によかったと思えるキャスティングだ。決して明るい話ではないのだが、どんより沈んだ印象のないのは、彼らの演じる人物像が様々な意味での最後の一線を越えないところで踏みとどまる生命力の持ち主だからだと感じる。達夫は物静かな男だし、無為な日々を送っているが、退廃的一歩手前で静かな熱と知性を感じさせる。千夏は娼婦と言ってよい暮らしをしているが、夢見る少女のような希望のかけらを捨てていない女性に見える。拓児は粗暴だが凶暴ではなく、他人に対する優しさを失ってはいない。彼らの奥底に隠れた輝きが、ふとしたきっかけで奇跡のよう表出する、その一瞬が見事で、心打たれる。

そういった人物の背景として函館というロケーションはうまくマッチしている。函館は原作者の生まれ育った町だから、この町で暮らす実感については、余所者の推し量れない部分もあるだろう。私は函館は二度ほどしか行ったことがなく、印象も偏っているだろうが、札幌のような都会とは違い、言ってみれば中途半端な町(在住の方には失礼を承知で言うのだが)だ。海に囲まれているものの、この地の気候では、夏でも海水温はあまり高くなく、燦々と陽の降り注ぐ明るい海という印象はない。海運業、漁業ともに、かつての繁栄はなくなっている。の町の性格が登場人物の性格に呼応しているかのようだ。

鬱々とした日々の中で、鬱々とした景色の中で、ときたま輝きを見せる人間の生と性が実に美しい。それは、中盤での海のシーンとラストの海のシーンだ。中盤のシーンは動、ラストシーンは静。とくにラストは、どうしてこれだけ良い表情を出せるのだろうと溜息が出るほどだ。

綾野剛は今作では主演でありつつも受けの演技が非常によかった。菅田は口数が多くチャランポランに見える青年を目一杯のエネルギーで演じており、『共喰い』のときよりも更に成長したと思う。若手ながら、粗暴さの中にペーソスを感じさせるような人物をきっちり演じているのに感心した。池脇はいつもながら見事と言うしかない。この人は、複雑なキャラクターであればあるほど、実力を発揮できる女優さんだ。千夏はバランスの取り方の非常に難しい人物像だと思うが、強すぎず弱すぎず、子供っぽさと艶っぽさが同居し、諦念と生活への嫌悪感を持ちながらも絶望していない、とにかく愛おしさを感じる千夏像を作り上げている。

周りの大人たちを演じるベテラン俳優たちも適役ばかりだったし、音楽もよく、脚本は説得力があり、青春を少し前に脱した年代の若者たちの、抱きしめたくなるような魂の物語が実現したと思えた。

(2014.5.4 テアトル新宿にて)

映画公式サイト
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2014年05月04日

『テルマエ・ロマエII』

監督:武内秀樹
原作:ヤマザキマリ「テルマエ・ロマエ」(KADOKAWA エンターブレイン刊)
脚本:橋本裕志
出演:阿部寛、上戸彩、北村一輝、竹内力、宍戸開、笹野高史、市村正親、キムラ緑子、勝矢、曙、琴欧洲、菅登未男、いか八朗、松島トモ子、白木みのる、ほか
2014年

感想を書く暇のないままに、公開初日に観てから1週間も経ってしまった。前作を観て気に入った連れ合いが「IIも面白いかな、観に行こうか」と言うので出かけた。確かにエンターテインメントとしてはパワーアップしていて、普通に面白かった。ストーリーのほうは、前作よりシリアスになっていて、前作で憎まれ役だったケイオニウス(北村一輝)に焦点をあてている。ジャック・ルイ・ダヴィッド描く「アルプスを越えるナポレオン」の絵にそっくりなケイオニウスの馬上の勇姿に、おお!格好いい!と感嘆する。

テルマエ自体もスケールアップしている。前回は個々のテルマエの設計だったが、今回ルシウス(阿部寛)が手がけるのは、「ユートピア」がテーマの、テルマエを中心に据えた一大娯楽スポットだ。そういう道具立ての大きさに負けないように、少しインパクトの強いケイオニウスの物語を持ってきたのだろう。ただ私の好みからすれば、前作の古代ローマと現代日本との落差から生み出されるクスクス笑えるようなディテールの積み重ねが気に入っていたので、やや大味な印象を持った。

面白かったのは、日本の技術を真似しても、古代ローマでは電力ではなく、奴隷による人力になるというところだ。これをもうちょっと大きく取り上げたら良かったと思うのだが、さらっと流されていたのは、奴隷という存在をあまり肯定的に描いてはいけないという判断からだろうか。

前回最も気に入った、ルシウスが現代日本にタイムスリップする際に歌われるオペラのアリア場面は今回も楽しかった。前回は山を背景にして歌われていたのが、今回は海である。しかも歌手の妻とおぼしき女性まで出て来て、何やら夫婦喧嘩の様相を呈してくるのが可笑しい。浪越徳治郎をパロった徳三郎(菅登未男)のエピソードや、松島トモ子の猛獣に噛まれるギャグなど、かなり高年齢世代を狙ったシーンが盛り込まれているが(残念ながら私はそれがわかってしまう世代)、若い層には何がなんだかわからないだろうし、私にとってさえあまり面白いとは思えなかった。阿部寛、上戸彩は変わらずどっしりと作品を支え、安定感がある。今回アントニヌス(宍戸開)をなんだかサエない男に描いたのは、ケイオニウスを目立たせるためだったのだろうか。

ちょっとしたことだが、確か前回はなかったと思う登場人物の喋る言語についての注記が可笑しかったし、あれがあることで違和感を覚えず作品を楽しめたと思う。

(2014.4.26 ユナイテッド・シネマとしまえん にて)

映画公式サイト
posted by すいっち at 09:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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