2015年02月25日

『アメリカン・スナイパー』

監督:クリント・イーストウッド
原作:『ネイビー・シールズ 最強の狙撃手』クリス・カイル、スコット・マクイーウェン、ジム・デフェリス著(原書房)
脚本:ジェイソン・ホール
出演:ブラッドリー・クーパー、シエナ・ミラー、ルーク・グライムス、ジェイク・マクドーマン、ケビン・ラーチ、コリー・ハードリクト、ナビド・ネガーバン、ほか
原題:American Sniper
2014年アメリカ


ほとんど何も事前情報は入れず、クリント・イーストウッド監督の最新作であり、評判が高いということだけで観に行ったが、期待に違わず、本当に見応えのある作品だった。実話の映画化であり、2年前まで存命だった人を描いているのだが、実話を越えたリアリティーというのはこういう作品を言うのではないかと思えた。もちろん、原作(主人公の回想録)は読んでいないので、そう判断するのは無謀ではあるのだが。

クリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)は、カウボーイになることを夢見るテキサス生まれの少年。厳格な父親に手ほどきを受けたライフルの腕は確かなものだ。長じて、国を守りたいという正義感にかられ、クリスは海軍の特殊部隊「ネイビー・シールズ」に志願する。過酷な訓練の後に彼らに与えられた使命は「番犬」になること。つまり、狙撃の腕を生かして味方の兵を守ることだ。結婚して日を置かずして、クリスに派遣の命が下る。卓越した狙撃の腕で、クリスは「伝説」と呼ばれるようになり、4回の派遣をこなす。国では妻と子が待っており、彼の除隊の日を心待ちにしている。良き夫と父である一方、米軍史上最多と言われる160人を射殺したクリス。彼には葛藤はあるのか。無傷で除隊の日を迎えることができるのだろうか。

二昔前は戦争映画と言えば、舞台は第二次世界大戦。時代を下るとベトナム戦争。そして今なお混迷を深めるイラク戦争が、この映画の舞台である。高度成長期から世の中は平和だという意識に慣れてしまった島国日本の我々と異なり、アメリカはどの時代も戦争と無縁であったことがないことを思い知らされる。イーストウッド監督は『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』で第二次大戦を描いたが、今作では戦闘場面の凄まじさと、人間性の内面をより深く掘り下げたことで、それらを凌駕しているように思える。

クリス・カイルはほとんど非の打ち所のない人物として登場する。凄腕の射撃手であり、「伝説」と呼ばれてもそれを鼻にかけることはなく、かと言ってことさらに卑下することもなく、戦友思いで家族思い。けれども彼は単なる楽天家ではない。人にも言わないし、表にも出さないが、人を殺すことを含めた戦争の過酷さが徐々に彼の心を蝕んでゆく。その辺の微妙な変化を、ブラッドリー・クーパーは丁寧に丁寧に演じていて、大変好感が持てた。アカデミー賞の主演男優賞にノミネートされたのも当然と言えるだろう。狙撃手であるから、カメラは頻繁に彼の目をアップで追う。それが素晴らしい映像となって迫ってくる。クルンとカールした睫と標的を見据える無心の目に見入ってしまう。そして敵のスナイパー役の俳優さんの目も同じく印象的だ。

戦闘場面の迫力というのは、なにも爆発物の威力や圧倒的な数の軍隊でのみ表されるのではないということが、この映画を見るとよくわかる。本物同様に兵士の動き、目の配り方、突入の仕方を身につけた素晴らしい俳優たちの動きや、巧みなカット割り、セットの素晴らしさで、とてつもない臨場感を感じさせるやり方だ。味方の動きばかりではない。敵の攻め方(一見米軍のような統率の取れた部隊ではなく、ゲリラ戦に長けた兵士たちというのがよくわかる)や人員の配置までもが見事で不気味だ。

そして、戦争経験のPTSDに関しても、この作品ではしっかりと捉えてられている。本物のクリス・カイル自身、戦場では味方を救い、退役後は本国で戦争を引きずっている人を救う活動をしていたそうである。国を守りたい、仲間を助けたいという純粋な正義感にかられて過酷な体験をした人々への責任を果たさなければならないのは誰か。それはとりもなおさず国だ。勲章や栄誉や金や壮麗な葬儀で責任を果たせるわけではないと、ラストシーンを見ながら思った。

(2015.2.24 ユナイテッド・シネマとしまえん にて)
映画公式サイト
以下ネタバレあり
posted by すいっち at 00:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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