2013年09月29日

『そして父になる』

監督・脚本・編集:是枝裕和
参考文献:奥野修司著「ねじれた絆―赤ちゃん取り違え事件の十七年」(文春文庫刊)
出演:福山雅治、尾野真千子、真木よう子、リリー・フランキー、二宮慶太、黄升R(ファン ショウゲン)、中村ゆり、高橋和也、田中哲司、井浦新、風吹ジュン、國村隼、樹木希林、夏八木勲、ほか
英題:LIKE FATHER, LIKE SON
2013年

本当に公開を楽しみにしていた作品である。第66回カンヌ国際映画祭でも、審査員賞という大きな賞に輝いたのだから、優れた作品であることは間違いないと思っていた。大方の高評価を否定するつもりはないが、私の感想では、是枝作品としてはウ〜ン…と、やや期待はずれだったのが正直なところである。

野々宮良多(福山雅治)は大手建設会社に勤めるエリートサラリーマン。妻みどり(尾野真千子)と6歳になる一人息子の慶太(二宮慶太)と都内の高級マンションに暮らしているが、仕事の忙しさのあまり、家庭を顧みる余裕があまりない。ある日、みどりが出産した病院から電話があり、6年前に赤ちゃんの取り違えがあり、慶太は二人の実子ではないと告げられる。ショックを受けながらも、相手の家族との交流が始まる。近県で小さな電器店を営む斎木雄大(リリー・フランキー)とゆかり(真木よう子)夫婦には、良多とみどりの実子である琉晴(黄升R)を長男として、3人の子がいる。生活レベルも子供の教育方針も異なる斎木家に違和感を覚える良多。子供が取り違えられた場合、前例では100%交換という選択肢を両親は選ぶと聞かされ、悩む2組の家族。良多は血の繋がりを重視し、交換を決心するが…。

全編を通じて流れるピアノの旋律のように、静かな映画だ。テーマは良多が本当の父性に目覚めるというものだけに、丁寧な心理描写が続く。良多は、確かにエリートではあるが、自分の内面を見据えたことのない男に見える。だから、親から「血が大切」と言われれば、それに傾き、上司から「両方とも引き取っちゃえ」と言われれば、それに傾く。父になり切れていない以前に、大人になり切れていない人間に見える。一方、斎木雄大のほうは、学はないかも知れないが、しっかりと自分がわかっている人物だ。こういう対比は、妻同士、子供同士にも顕著だ。2家族のそういったコントラストが映画の持ち味だろうとは思うのだが、ややステレオタイプ過ぎて、自然さが損なわれているように思えた。とにかく、野々宮家が素敵な家族に見えない。親対子だけでなく夫婦のあり方も(とくに、みどりの優柔不断な人間性)。野々宮家にちっとも親近感が湧かないために、この夫婦の苦悩が伝わらないのだ。それに引き換え、斎木家のほうは溌剌としていて、大変好感が持てた。リリー・フランキーも真木よう子も、さすがの演技である。とりわけ、真木よう子が肝っ玉母さんのような存在をこれほど的確に演じるのを見て感激した。

愚考するに、この物語は2組の夫婦と子供の話にとどめておくべきだったのではないかと思う。エンディング近くの、良多とその親との話が余計に思え、この挿話が全体をわざとらしい印象にさせてしまったような気がした。

夏八木勲の病を感じさせない存在感も光っていた。

(2013.9.28 ユナイテッド・シネマとしまえんにて)

映画公式サイトさらに余計だと思ったのは、取り違えた看護師からのお詫び金を良多が返しに行くシーンである。良多が何を思って返しに行ったのかは明確に語られないが、良多本人が看護師宅へ返しに行くというのは、あまりに現実的でないと思う。返すことを弁護士に知られたくなかったということなのだろうが。

井浦新の存在もさほど意味を感じなかった。良多がいろいろな面で目覚めてゆく過程として挿入されたものだと思うが、やはりわざとらしい。
posted by すいっち at 11:15| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この映画は単純な取り違えの話ではなく、ひとりの男が非日常的な経験を通して考えていく深い話だと思います。
看護士に会いに行くシーンは、義理の息子に『僕のお母さんだから』と言われ、野々宮がまたひとつ気付かされる所なので必要じゃないでしょうか。
同じく野々宮の両親も登場時間は短いもののとても印象深い台詞が多かったです。野々宮の成長を描くにはすべて必要だったと思います。
Posted by きのこ at 2013年09月29日 17:03
>きのこさん
コメントをありがとうございます!
そう、深い話だというのはその通りと思います。
看護師のシーンは、まさに「僕のお母さんだから」という台詞が嫌だったんです(^^;; この台詞のために入れたシーンに思えてしまったんですね。
野々宮の両親は良かったと思いますが、昔良多が辛くあたった義母に詫びたいと思うところが“いかにも”で、是枝さんの特徴(と勝手に私が思っている)である自然さを損なっているのではないかと感じました。
でも、皆さまが必要なシーンだとお感じになるのなら、それは否定するつもりはありませんし、なるほどそういう見方もあるのねと新鮮な気持ちになります。
Posted by すいっち at 2013年09月29日 19:10
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