2013年11月02日

『もうひとりの息子』

監督・脚本:ロレーヌ・レヴィ
原案:ノアム・フィトゥッシ
出演:エマニュエル・ドゥヴォス、パスカル・エルベ、ジュール・シトリュク、ハリファ・ナトゥール、マハディ・ザハビ、アリーン・ウマリ、ほか
原題:Le fils de l'Autre
英題:The Other Son
2012年フランス

子供の取り違えを扱った映画として、是枝裕和監督の『そして父になる』と見較べてみようという論調で最近よく取り上げられているこの作品を観てきた。2012年の東京国際映画祭ではグランプリと監督賞に輝いた話題作である。東京では1館だけの公開であり、金曜はシネスイッチのレディースデー(シネスイッチは毎月1日の映画サービスデーは入場料金が1000円だが、金曜レディースデーは900円とお得なのである)というせいもあって、平日の昼間にもかかわらず、あっという間に座席は売り切れになった。民族問題が根底にあるため、一見重くとらえられがちだが、登場人物それぞれの感情が繊細に描かれており、不思議なことに軽やかな爽やかさのある作品で、私はかなり気に入った。

テルアビブで暮らすフランス系イスラエル人(=ユダヤ人)のシルバーグ家。18歳になった息子ヨセフ(ジュール・シトリュク)が兵役に就くために身体検査を受ける。しかし血液検査の結果、ヨセフが父母の実子ではあり得ないという驚愕の事実が知らされる。母・オリットが18年前に出産した病院を調査してもらった結果、湾岸戦争の混乱の中、同室だった妊婦の子と取り違えられたことが判明。そして、こともあろうに、取り違えられたもう一方の家族アル・ベザズ家は、対立するパレスチナ人(=アラブ人)なのであった。双方の父親は、民族の違いというとてつもない障壁に打ちのめされ、なかなか事実を受け入れようとしない。母親同士は、現在の息子を愛する気持に変わりないが、まだ見ぬ本当の息子に会いたい気持が募る。ヨセフはユダヤ人としての誇りを持って生きてきた自分の足元が崩れて混乱し、アル・ベザズ家の息子ヤシン(マハディ・ザハビ)は、仲の良かった兄に暴言を投げつけられて悩む。通行許可証を申請しなければ容易に行き来もできないイスラエルとパレスチナ自治区。分離壁に隔てられた2つの家族に融和は訪れるのだろうか。そして彼らの選択は?

なかなか日本人の我々には理解しにくい現実の中東情勢であるが、映画はそれを無理なく説明的でない手法である程度示してくれるので、混乱することはない。フランス系であるために、フランス語とヘブライ語を話すシルバーグ家の人々。パリに留学していたためにフランス語とアラビア語を話すヤシン。フランス語がわずかに話せるヤシンの母・ライラ。その他にも、若者たちの共通言語として出てくる英語。各国語が飛び交い、日本語の字幕のほかに、ヘブライ語・アラビア語には英語の字幕もついていて、非常に国際色豊か。言葉を聞いているだけで、中東の複雑さが垣間見えるかのようだ。

親のDNAが子に受け継がれていると思わせるシーンが時々ある。オリットや夫アロン(パスカル・エルベ)の知性は、実の息子のヤシンに受け継がれているのだろう。ヤシンは医学系のバカロレアに合格し、将来は医師をめざす知性の持ち主だ。また、ミュージシャンを目指したいヨセフは、実父サイード(ハリファ・ナトゥール)の音楽嗜好につながり、このことが映画のクライマックスにも大いに関係してくる。

キャストはどの人も素晴らしかったが、主演のエマニュエル・ドゥヴォスが本当に魅力的な母親だった。息子に接するときの優しい語り口とともに、夫の逡巡を鮮やかに受け流す強さもあり、知性を感じさせる。いっぽう、こちらも実に良かったのだが、ライラを演じるアリーン・ウマリは、細かい感情の揺れ動きを的確に演じる女優さんで、パレスチナ映画の至宝だと言われているだけのことはある。ヨセフを演じるジュール・シトリュクはどこかで見た顔だと思ったら、『ぼくセザール10歳半1m39cm』(2004年日本公開)に主演した子だった。大きくなったものだ!

フランス語の原題"Le fils de l'Autre"は英語や日本語とは少しニュアンスが違うと思う。正確には「もう一方の側の息子」ということになるだろう。これは、イスラエルとパレスチナを隔てている分離壁の「向こう側」と「こちら側」を示唆する表現に違いない。従って「向こう側の息子」と訳すと、映画の内容に沿った言葉になる。もちろん邦題を正しい訳語にせよと言うつもりはない。ただ原題のニュアンスがわかると、映画の内容がよりよくわかるのも確かだ。

爽やかな余韻があるのは、結局この映画の中では、息子たちが自ら道を見つけてゆくからだ。親の世代では無理でも、息子たちの時代にはイスラエルとパレスチナの対立もあるいはなくなるかも知れないという希望を持たせる作品なのだ。

奇しくも『そして父になる』の中の台詞と同じ意味の台詞があり、こういう事態に直面した男というのは、皆同じ発想になるのだろうかと思った。

(2013.11.1 シネスイッチ銀座2にて)

映画公式サイト

以下ネタバレあり


息子が取り違えられたことを知ったとき、サイードが妻のライラに「母親なんだから、取り違えられたらわかるだろう!」という意味の言葉を投げつける。確かこれは『そして父になる』で、良多が妻みどりに言った言葉と同じだ。妻の迂闊さを本当に責めているというより、のっぴきならない状況に追い詰められた男性が、他者に怒りをぶつけることで、かろうじて崩れそうな自分を支えているといった言葉に思える。こういった非常事態に置かれた場合に、生む性である女性のほうが、揺るがない愛情を基盤として常にどっしりと構えるものなのだろう。よく言われるように、やはり母は大地なのか。
posted by すいっち at 12:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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