2014年02月04日

『ほとりの朔子』

監督・脚本・編集・コプロデューサー:深田晃司
出演:二階堂ふみ、鶴田真由、太賀、古館寛治、杉野希妃、大竹直、小篠恵奈、渡辺真起子、志賀廣太郎、松田弘子、想田和弘、ほか
仏題:Au revoir l'été
2013年

二階堂ふみが主演なので見ようと決めていた作品。フランスのナント三大陸映画祭2013でグランプリなどを獲得し、前評判もよい。チラシや映画公式サイトに使われている二階堂ふみが水の中にたたずんでいるシーンが本当によかった。その写真がすべてを物語っている。大人になる直前の女の子を、実にみずみずしく描いた作品だった。ナントの映画祭にはフランス語のタイトル≪Au revoir l'été≫(「さようなら 夏」の意味)で出品された。日本での上映は、海外映画祭と同じバージョンらしく、英語の字幕がついていて、それがやや邪魔だった。

朔子(二階堂ふみ)は、ガリ勉でありながら大学受験にことごとく失敗し、一種の放心状態、何にも興味を持てない日々を送っている。口うるさい両親から逃れるように、美しい叔母・海希江(鶴田真由)に誘われるままに、もうひとりの伯母・水帆(渡辺真起子)が海外旅行で留守になる家に夏休みを過ごしに来た。この海にほど近い町で、朔子はいろいろな人と出会う。水帆の昔からの知り合い・兎吉(古館寛治)とその娘・辰子(杉野希妃)、兎吉の高校生の甥・孝史(太賀)などである。海や川を散策したり、他愛ない話をするうちに、徐々に朔子と孝史の距離は縮まってゆく。しかし、海希江の恋人が現れたり、孝史には好きな人がいるらしいとわかったり、そのたびに朔子の心には小さなさざ波が立つ。

とりたてて何か大きな出来事が起こるわけではない。朔子が何かをきっかけに大きく飛躍するのでもない。ただ、どこにでもあるような、日常の小さなかけらを真摯に見つめる時間が持てたことで、朔子はひとまわり成長してゆく。しらけてはいないのだが、一見しらけて見える朔子。感受性がとくに鋭いとまでは言えないが、少女時代の終わり頃に特有の、外界との距離の測り方を身にまとった朔子は、モラトリアムという意味で、まさに等身大の青春を体現しているように思える。

ここ数年、青春映画として優れた作品は多い。『天然コケッコー』『きみの友だち』『横道世之介』や『桐島、部活やめるってよ』などがそうだ。けれども、『ほとりの朔子』がそれらの青春映画と決定的に違うのは、エロティシズムの面だと私は感じた。二階堂ふみの健康で媚びていない肢体をカメラが独特のアングルで狙う。ショートパンツをはいた朔子が2階へ上がってゆくのを下から捉えたカメラには、思わず息を飲んでしまうような爽やかなエロティシズムを感じた。男性目線だとどう感じるのかはわからないが、露出度の多いリゾート・ファッションや、水着姿、一度だけ見せたアップに結ったヘアスタイルなど、計算し尽くされた美がある。成熟した大人の魅力を見せる鶴田真由と並ぶとまだほんの子供にも見える二階堂だが、この年齢にしか出せないまぶしさがスクリーンにいっぱいに広がっていた。それだけでも、観た甲斐はあった。

孝史を演じる太賀もよかった。大河ドラマ「八重の桜」で演じた徳富健次郎役は、あまり丁寧に描いてもらえなかったように思うが、この作品では十分に力を発揮できたのではないだろうか。孝史がこの町にやってきた経緯が終盤で明らかになるが、ある集会での孝史のスピーチの場面は素晴らしいと感じた。

海希江の恋人・西田(大竹直)は、こういう男っているいる!と言いたくなる嫌らしい人物像だ。海希江のような知的で仕事もバリバリやっている女性は、西田のような男にうっかり惚れがちなものだと、非常に共感を覚える設定でもあった。人間観察の鋭い脚本だと、そこにとても感心した。素敵な作品だったが、125分はやや長いかなという印象で、もっと削ぎ落とせるのではないかとも思う。

(2014.2.3 シアター イメージフォーラムにて)

映画公式サイト
posted by すいっち at 01:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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