2014年03月16日

『ヴィオレッタ』試写会

監督:エヴァ・イオネスコ
脚本:エヴァ・イオネスコ、マーク・チョロデンコ、フィリップ・ル・ゲイ
出演:イザベル・ユペール、アナマリア・ヴァルトロメイ、ドニ・ラヴァン、ほか
原題:My Little Princess
2011年フランス

2011年のカンヌ国際映画祭で、批評家週間50周年記念として上映され、賛否両論を巻き起こした問題作である。イザベル・ユペールが主演であることと、ストーリーに興味を持ったので試写会に応募したが、大変面白い映画だったと明言しておく。

この作品は日本でも公開までに紆余曲折があった(現在もある)そうだ。保守的な道徳観念の残る地域での上映がどう受け入れられるかという問題がある。カンヌでも、非難されたのは、児童ポルノの性格があるのではないかという点だ。フランスではカンヌ後、この作品は誰が観てもよいという一般作品として公開された。しかし、日本では映倫が少女の性的な描写を想起させるということで、「審査対象外」という判断をくだしたそうである。従って、まだ広く上映する予定が立っていないのだ。そういったことに関して上映前と上映後に配給会社の方から説明があり、観た感想を広く求めたいということだった。

1977年に母親が実の娘のヌード写真集を発売し、世界的に大きな論議を呼んだ。その写真集のモデルがエヴァ・イオネスコ監督だったのである。つまりこの作品はエヴァ・イオネスコ監督の実体験を映画化したものだという経緯がある。

ヴィオレッタ(アナマリア・ヴァルトロメイ)は祖母と二人暮らしの美しい12歳。母親のアンナは芸術家肌の売れない画家・写真家で、別に部屋を借り、ヴィオレッタのもとにはたまにしか戻って来ない。母に会えるのを嬉しく思うヴィオレッタは、ある日アンナの部屋に招かれ、言われるがままに綺麗なドレスに着替え、髪をほどかれ、真っ赤なルージュを塗られ、妖しげなオブジェに囲まれ、写真のモデルとしてポーズをとる。写真を画家のエルンストに褒められたアンヌは、段々娘への要求をエスカレートさせて行く。初めて開いた写真展は評判を呼び、アンナの写真は高く売れるようになる。始めは母親が喜ぶ顔を見るのが嬉しかったヴィオレッタだが、刺激的なポーズやなヌードを要求され、シド・ヴィシャスとのフォトセッションでセクシャルな絡みを求められるに至って、不満を爆発させ、もうモデルはやらないと宣言する。学校でも、ヌードモデルのレッテルを貼られていじめられ、ヴィオレッタは孤独を深めて行く。

こだわりのオーディションを勝ち抜いただけあって、アナマリア・ヴァルトロメイは本当に美しく、ゴシック風衣装を身にまとい、大人びたポーズや視線がカメラに収まる様子は、あどけなさと妖艶さの境目にある少女として実に魅力的だ。けれども、それはあくまで舞台装置であって、映画は思春期にさしかかる少女の、母親に対する愛情と嫌悪の間で揺れる感情を描いていて、テーマはより普遍的なものになっていると感じる。ルーマニア出身の祖母、平凡を嫌って芸術に生きようとする母、そしてヴィオレッタの3世代の女性が紡ぎ出す物語は、無駄のない脚本によって、非常にスリリングなものに仕上がっている。美しい母親に憧れの念を抱き、言うなりになっていた少女が、やがて自我に目覚め、母親の呪縛から逃れようと苦しむさまに、悲しくなるほどの共感を覚える。母親が娘を呼ぶ呼び方、"Mon amour"(愛しい子)、"Ma princesse"(私のお姫様)を聞いていると、母親自身が愛だと思っているものと、娘が欲しい愛との間の大きなずれが感じられる。

男性の見方、娘を持つ母親の見方、立場によってこの映画に何を感じるかは千差万別だろうと思うが、私は表現にはかなり抑制が効いていると思えたし、児童ポルノの要素があるとはこれっぽっちも感じなかった。ヴィオレッタの学校、授業の様子、友だちとの関係の描写など、非凡さを感じさせるシーンが多く、とても素敵な作品だと思った。

フランス映画なのに原題が"My Little Princess"と英語なのはどういう意図なのだろう。

(2014.3.15 シネマート六本木にて)

映画公式サイト
posted by すいっち at 13:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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