2014年04月10日

『LIFE!』

監督:ベン・スティラー
脚本・製作:スティーヴン・コンラッド
出演:ベン・スティラー、ショーン・ペン、クリステン・ウィグ、シャーリー・マクレーン、アダム・スコット、パットン・オズワルト、キャスリン・ハーン、ほか
原題:The Secret Life of Walter Mitty
2013年アメリカ

雑誌「LIFE」を題材にした映画だというので、ベン・スティラーにはまったく興味がなかったのだが観に行ってみた。事前情報を見ないで行ったので、こんなにコメディータッチの作品だとは予想しておらず、思ったより楽しい映画だった。

ウォルター・ミティ(ベン・スティラー)は、雑誌LIFE社で写真管理の仕事をしているサエない男。経理課のシェリル(クリステン・ウィグ)に密かに思いを寄せているが、人付き合いの下手なウォルターはまともに話しかけることもできないでいる。そんな彼は、ときおり空想の世界に羽ばたく癖があった。そこでは彼は強きヒーローであり、果敢にアドベンチャーに挑戦する男となる。LIFEは時代のデジタル化の波に逆らうことができず、販売部数も減少、ついには完全デジタルへ移行することが決まり、雑誌として刊行するのはあと1号だけということになる。当然大規模リストラも予定され、人員削減のために送り込まれた新しいボスは、ウォルターをリストラ対象にしようと、あの手この手でプレッシャーをかけてくる。運悪く、最終号の表紙を飾るはずの写真が行方不明になってしまう。長年付き合ってきた(実際に顔を合わせたことはない)写真家のショーン(ショーン・ペン)を何とか探しだし、行方不明の写真を見つけ出そうとするウォルター。気ままに世界中を撮影のために飛び回っているショーンを探し当てるのは容易なことではない。グリーンランドやアイスランドまで足を運ぶが、あと一歩のところでショーンとすれ違いの繰り返し。しかしこの旅が、その後の彼の生き方を決定づけるものになってゆく。

映像がたいへんユーモアにあふれた凝った作りになっている。冒頭から、オープニングクレジットの文字が景色のあちことにちりばめられ、うまいなあと感心する。見どころのひとつは、ウォルターの空想の世界だろう。明らかに、いくつもの映画のパロディーというか、オマージュというか、知っている人なら、あ!あれをパロっているなと気づくシーンがたくさん出てくる。私はアメリカ映画をあまり数多く観ないので、出典がわからないものも多かったが、少なくとも『スパイダーマン』と『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』は間違いないと思う。とくに、本物の『ベンジャミン・バトン』は特殊メイクが話題となった作品だが、『LIFE!』では、見事にそれが再現されている。シェリルもウォルターの空想の中では年老いて登場するのだが、クリステン・ウィグの老けメイクは素晴らしかった。

ウォルター・ミティのような人物像に好感が持てないので、感激するには至らなかったが、後味の爽やかな映画である。せっかくLIFEが舞台となるのだから、もう少し雑誌編集の話や写真そのものの話も描いてもらいたかった気がする。終盤に行くに従ってウォルターの顔に精悍さが増し、男性としての魅力が増してくるところは、さすがベン・スティラーだと思えた。ショーン・ペンは気まぐれ屋の初老のカメラマンという意外な役柄で、しばらくぶりに見たので誰だか最初はわからなかったほどだが、非常によいシーンが彼のために用意されていた。

(2014.4.6 ユナイテッド・シネマとしまえん にて)

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2014年04月02日

『アデル、ブルーは熱い色』試写会

監督・脚本:アブデラティフ・ケシシュ
共同脚本:ガリア・ラクロワ
原作:ジュリー・マロ「ブルーは熱い色」(DU BOOKS発行)
出演:アデル・エグザルコプロス、レア・セドゥ、サリム・ケシゥシュ、モナ・ヴァルラヴェン、ジェレミー・ラユルト、アルマ・ホドロフスキー、バンジャマン・シクスー、ほか
原題:La Vie d'Adèle CHAPITRES 1 ET 2
2013年フランス

2013年のカンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いた作品。パルムドールは監督のみに贈られる通例を破って、主演の二人アデル・エグザルコプロスとレア・セドゥを含めた三人に贈られたことでも話題になった映画だ。漫画が原作の作品がパルムドールを授賞したのも初めてのことだそうだ。事前情報をなるべく入れずに、同性愛を描いた作品だという程度の知識で試写会に行く。会場で、これがR18指定であることがわかる。そういえば、性描写がどうのこうのとどこかに書かれていたっけと思いだす。そして、これも当日わかったことだが、この映画は179分という長尺だったのだ。

鑑賞の翌日になってもその世界から抜け出せない映画は本当に久しぶりだ。男女の愛を描いた映画なら、その作品がとてもよいと思っても、自分の年齢からして、まるで自分がその当事者になったような気持にはもはやなれない。ところが本作は、本当に当事者になった気分で、私もブルーの髪のエマに一目惚れしてしまった。

アデル(アデル・エグザルコプロス)は極めて普通の高校生。文学と語学と料理の好きな女の子。将来は幼児教育の教師になりたいという夢を持っている。美女というわけでも、スタイル抜群というわけでもなく、髪の毛はいつもボサボサで、無造作にゴムで束ねている。身のこなしも優雅からはほど遠く、食べ方は行儀悪く、寝るときはいつもだらしなく口を半開きにしている。そんな飾らない女の子だが、なぜか男子からは結構モテる。ある日アデルは町で髪をブルーに染めた女性とすれ違い、その一瞬の視線に射貫かれる。それからというものアデルの脳裏からは彼女が離れなくなる。夜のゲイバーで運良く再会できたその女は、エマ(レア・セドゥ)といい、美大生だった。エマもアデルに興味を持ち、数日後に下校時にアデルを待っていた。二人は親しく話し、アデルは知的なエマにすっかり心を奪われてしまい、やがて二人は激しく肉体を求め合うようになる。数年後アデルは教師になり、エマと同棲を始め、働きながらエマのヌードモデルも務めていた。しかし幸せな日々に少しずつ影がさしてゆく。

これは主演二人の熱演を絶賛するよりほかはないだろう。アデル・エグザルコプロスは、高校生から大人になってゆくアデルの感情の動きを実に的確に繊細に演じ、とても演技には見えないほどリアリティーがあった。エマに対するアデルの一途な思いが確実に伝わってきて、こちらを同化させてくれた。一方レア・セドゥは、まずこれほどブルーの髪が似合う人はいないだろうと溜息が出てしまうほど魅力的だ。男の子っぽいサバサバ感を醸し出しながら、その視線と笑顔で人の心を絡め取る。現実の人間というより、漫画の世界を具現化したようなエマと言えるかも知れない。アデルの心情を中心に描いているために、エマはやや客観的な立ち位置にあり、ミステリアスでつかみ所がないからこそ惹かれる。

確かに、話題となった7分間のラブシーンは、ちょっと長すぎるかなとも思うし、最後には『ラスト、コーション』を思わせるような技巧的なシーンがあって、これはいらないような気もしたが、どんなに撮影が大変だったろうと心配になるほどの迫真のラブシーンであることは間違いない。

アデルの思いと呼応するかのように、高校の授業風景、幼稚園の教育風景がたびたび登場し、こちらも非常に興味深い。とくに、高校の文学の授業では、こういうメソッドのもとで教育を受けているから、フランス人(だけではないだろうが)は自分の意見をしっかり表明できる人に育つのだろうなと感慨深かった。日本ではああいう授業はできないだろう。また、エマが美大生なので絵画の話も出て来て面白かった。クリムトが好きだというエマ、エゴン・シーレがよいというエマの仲間。それで彼女たちの性格もわかるような気がする。二人の両親の描き方など、脚本も実にうまいと思う。

フランス語の原題は「アデルの人生 第1章、第2章」という意味である。どこから「ブルーは熱い色」が出て来たのかと思っていたら、原作漫画のタイトルが「Le bleu est une couleur chaude」(ブルーは熱い色)であり、映画の方も英題は「Blue Is the Warmest Colour」なのだった。

アデルがエンディングのほうで着るブルーのワンピースがいじらしい。

(2014.4.1 なかのZERO小ホールにて)

映画公式サイト以下ネタバレあり
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2014年03月29日

『WOOD JOB!〜神去なあなあ日常〜』試写会

監督・脚本:矢口史靖
原作:三浦しをん『神去なあなあ日常』(徳間書店刊)
出演:染谷将太、長澤まさみ、伊藤英明、優香、西田尚美、マキタスポーツ、有福正志、近藤芳正、光石研、柄本明、ほか
2014年

矢口監督作品は評価が高いのに、たまたま『ロボジー』しか観ていないので、原作が三浦しをんだし、今度は必ず観ようと試写会に応募し、昨日観て来た。前評判通り大変楽しい作品で、観てよかったと強く思った。原作は今に至るまで読んでいないが、変わった題名だなという第一印象で、映画がこのタイトルだけだったら意味も不明だし、傾向もよくわからないところだ。でも映画化に当たって「WOOD JOB!」(ウッジョブ)という本題がつけられ(完璧に映画のためだけに作られた言葉かどうかは知らないが)、これは秀逸なタイトルだと思った。もちろんGOOD JOB!のもじりであり、林業がテーマのストーリーと見事に合致している。

大学受験に失敗し、さりとて次年度を期して勉強する意欲もなく、ガールフレンドともうまく行かなくなり、バイトでも探そうかと無気力な生活を送っていた平野勇気(染谷将太)は、たまたま美女の写った林業研修プログラムのパンフレットに惹かれ、ローカル線を乗り継いで神去(かむさり)村へやってくる。そこは携帯の電波も届かず、野生の鹿や虫や蝮だらけで、出会う人は老婆たちばかりという超弩級の田舎だった。仕事は確かだが粗野な先輩のヨキ(伊藤英明)たちの厳しい指導に、何度も逃げ出して帰ろうと考える勇気だが、パンフレットの美女・直紀がこの村に住んでいると知って、それを心の慰めに村にとどまり、どうにかこうにか入門研修を終え、中村林業での1年間の実地研修が始まる。日々の新しい経験や、村人たちとの交流を通じて、勇気は徐々に変わってゆく。

とにかく、綿密な下地作り、発想の新鮮さ、味付けの細やかさで、1秒足りとも飽きることのない、無類に面白い映画だった。本格的な林業の作業風景、山と木々の威容、村の方言、風習、様々なものが一見カオスのごとく詰め込まれているが、その配し方が絶妙で、笑いへの持って行き方が自然で、非常に気持ちよく観ていられる。もちろんクライマックスの祭りの描写は圧巻でありながら、細かいエピソードはクライマックスに向けての序章という二次的なものではなく、それぞれが独自の輝きを持っている。

都会育ちの軟弱な若者が、田舎の自然や暮らしに触れて変わってゆくというストーリーは、それだけだったらどこにでもありそうな話でしかないが、この作品はそういう陳腐なわざとらしさがまったく感じられないのだ。これは、脚本が巧みであると同時に、林業の作業をすべて俳優陣が吹き替えを使わずにやっていることや、クライマックスの迫力のシーンにCGがほとんど使われていないこと、つまりは徹底した本物志向が大きく影響していることと思う。笑えるシーンも過剰な仕立て上げ方ではなく、登場人物たちがふと見せる行動が、部外者にとっては新鮮で可笑しく見えるといった、ちょっと感性をくすぐられるとでも言えそうな自然発生的な可笑しさなのだ。

キャスティングが見事。主演の染谷の実力はすでに多くの作品で実証済みだが、これまでの鬱屈したような若者とはうってかわってお気楽な男の子をうまく演じている。驚いたのは伊藤英明だ。『海猿』のイメージが強く、何となく一本調子な印象のある彼だが、今回のヨキ役は素晴らしかった。武骨でありながら愛嬌もある山の男がぴったり。特に木を伐採するときの身のこなしなど、堂に入ったものだ。ふんどし姿もとりわけ格好いい。彼らを取り巻く様々な人たちも、実力派俳優を揃えただけあって、実によい味を出している。

映像は、とくに冬から春へ季節が移り変わる山里の様子をあらわしたシーンが素晴らしかった。これは誰にでも心から勧めたい1本だ。エンドロールが終わったあとにも洒落た仕掛けが待っているので、席を立たないことも併せてお勧めする。

(2014.3.28 よみうりホールにて)

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2014年03月16日

『ヴィオレッタ』試写会

監督:エヴァ・イオネスコ
脚本:エヴァ・イオネスコ、マーク・チョロデンコ、フィリップ・ル・ゲイ
出演:イザベル・ユペール、アナマリア・ヴァルトロメイ、ドニ・ラヴァン、ほか
原題:My Little Princess
2011年フランス

2011年のカンヌ国際映画祭で、批評家週間50周年記念として上映され、賛否両論を巻き起こした問題作である。イザベル・ユペールが主演であることと、ストーリーに興味を持ったので試写会に応募したが、大変面白い映画だったと明言しておく。

この作品は日本でも公開までに紆余曲折があった(現在もある)そうだ。保守的な道徳観念の残る地域での上映がどう受け入れられるかという問題がある。カンヌでも、非難されたのは、児童ポルノの性格があるのではないかという点だ。フランスではカンヌ後、この作品は誰が観てもよいという一般作品として公開された。しかし、日本では映倫が少女の性的な描写を想起させるということで、「審査対象外」という判断をくだしたそうである。従って、まだ広く上映する予定が立っていないのだ。そういったことに関して上映前と上映後に配給会社の方から説明があり、観た感想を広く求めたいということだった。

1977年に母親が実の娘のヌード写真集を発売し、世界的に大きな論議を呼んだ。その写真集のモデルがエヴァ・イオネスコ監督だったのである。つまりこの作品はエヴァ・イオネスコ監督の実体験を映画化したものだという経緯がある。

ヴィオレッタ(アナマリア・ヴァルトロメイ)は祖母と二人暮らしの美しい12歳。母親のアンナは芸術家肌の売れない画家・写真家で、別に部屋を借り、ヴィオレッタのもとにはたまにしか戻って来ない。母に会えるのを嬉しく思うヴィオレッタは、ある日アンナの部屋に招かれ、言われるがままに綺麗なドレスに着替え、髪をほどかれ、真っ赤なルージュを塗られ、妖しげなオブジェに囲まれ、写真のモデルとしてポーズをとる。写真を画家のエルンストに褒められたアンヌは、段々娘への要求をエスカレートさせて行く。初めて開いた写真展は評判を呼び、アンナの写真は高く売れるようになる。始めは母親が喜ぶ顔を見るのが嬉しかったヴィオレッタだが、刺激的なポーズやなヌードを要求され、シド・ヴィシャスとのフォトセッションでセクシャルな絡みを求められるに至って、不満を爆発させ、もうモデルはやらないと宣言する。学校でも、ヌードモデルのレッテルを貼られていじめられ、ヴィオレッタは孤独を深めて行く。

こだわりのオーディションを勝ち抜いただけあって、アナマリア・ヴァルトロメイは本当に美しく、ゴシック風衣装を身にまとい、大人びたポーズや視線がカメラに収まる様子は、あどけなさと妖艶さの境目にある少女として実に魅力的だ。けれども、それはあくまで舞台装置であって、映画は思春期にさしかかる少女の、母親に対する愛情と嫌悪の間で揺れる感情を描いていて、テーマはより普遍的なものになっていると感じる。ルーマニア出身の祖母、平凡を嫌って芸術に生きようとする母、そしてヴィオレッタの3世代の女性が紡ぎ出す物語は、無駄のない脚本によって、非常にスリリングなものに仕上がっている。美しい母親に憧れの念を抱き、言うなりになっていた少女が、やがて自我に目覚め、母親の呪縛から逃れようと苦しむさまに、悲しくなるほどの共感を覚える。母親が娘を呼ぶ呼び方、"Mon amour"(愛しい子)、"Ma princesse"(私のお姫様)を聞いていると、母親自身が愛だと思っているものと、娘が欲しい愛との間の大きなずれが感じられる。

男性の見方、娘を持つ母親の見方、立場によってこの映画に何を感じるかは千差万別だろうと思うが、私は表現にはかなり抑制が効いていると思えたし、児童ポルノの要素があるとはこれっぽっちも感じなかった。ヴィオレッタの学校、授業の様子、友だちとの関係の描写など、非凡さを感じさせるシーンが多く、とても素敵な作品だと思った。

フランス映画なのに原題が"My Little Princess"と英語なのはどういう意図なのだろう。

(2014.3.15 シネマート六本木にて)

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2014年03月15日

『春を背負って』完成披露試写会

監督・撮影:木村大作
原作:笹本稜平「春を背負って」(文藝春秋刊)
脚本:木村大作、瀧本智行、宮村敏正
出演:松山ケンイチ、蒼井優、檀ふみ、小林薫、豊川悦司、新井浩文、吉田栄作、安藤サクラ、池松壮亮、仲村トオル、市毛良枝、井川比佐志、石橋蓮司、ほか
2014年

登壇者:木村大作、松山ケンイチ、蒼井優、檀ふみ、豊川悦司、新井浩文

久しぶりに完成披露試写会が当たり、新井浩文が来てくれるかなあと期待しつつ雨の中出かけた。開場30分前から試写状を座席指定券と引き換え、という手順なのだが、会場の仕切りが非常に悪く、引き換えに大変手間取り、進まない列にイライラさせられた。どうせなら、もっと早い時間帯から引き換えを始めれば、こんなに混雑しないのにと思うが、劇場ではないため、会場使用時間の制約があるだろうから無理だったのかも知れない。

司会のフジテレビ笠井アナが登場し、早速松山ケンイチを先頭に、キャストと監督が登壇。やっぱり新井浩文も来てくれた!と嬉しくなる。舞台挨拶の模様は各メディアがたくさん報道してくれているので、詳しくは書かないが、印象に残ったことを2つ3つ。松山、新井は二人とも身長180cmを越える背の高い方々だということは知っていたが、ちょうど二人の間に立った豊川悦司は、さらに頭半分も抜きんでている。本物は何度かお目にかかっているが、こんなに大きい人だったかとあらためてびっくり。あとで調べると、豊川は186cmもあるのだということがわかった。

撮影裏話の中心は、蒼井優の男性をしのぐ健脚ぶりと、檀ふみの、これも男性をしのぐ飲みっぷりだった。高山では女性が強いという話は時々聞く。私の同級生が学生時代にヨーロッパアルプスのモンテ・ローザに登ったとき、周りの男どもが次々と体調不良を訴えるなか、一人平気な顔でいたそうだ。生物学的に女性のほうが気圧の変化に強いのだろうか?それはともかく、松山ケンイチはよく喋る!MCの質問からはちょっとずれた内容になっても平気で、どんどん喋っていくので、時間制限が不安になったほどだ。

さて、映画の話に移るが、全体的な印象としては、木村監督の前作『劔岳 点の記』より、ずっと面白かったと言える。山の威容をこれでもかと見せつけた『劔岳 点の記』は、映像としては『春を背負って』に勝ると思うが、映画全体のバランス、物語の運びなどは『春を背負って』のほうが遙かに納得できるものだった。

舞台は立山連峰。3000mの山の上にぽつんと立つ菫小屋を営む長嶺勇夫(小林薫)が、滑落した登山者を救おうとして命を落とす。東京でやり手のトレーダーとして仕事をしていた息子の亨(松山ケンイチ)は、父の意志を継いで山小屋を運営していこうと決心する。菫小屋で働く若い女性・高澤愛(蒼井優)や、勇夫の大学の後輩で山のベテラン・ゴロさん(豊川悦司)らの助けを借りながら、新米の山小屋オーナーとしての亨の新しい生活が始まる。

山小屋開きの様子はとても興味深いものだった。まだ一面雪に覆われた尾根を一歩一歩山小屋に向かって登って行く。実際にキャストを登らせて撮る映像は、黙って観ているだけで迫力がある。厳冬期のあいだ仕舞っておいた布団を屋根に干す愛の姿が印象に残る。布団は春の恵の日光をいっぱいに浴び、蒼井優のくったくのない笑顔と相まって、もっともよいシーンだったと思う。麓で民宿を営む亨の母(檀ふみ)や、亨の幼馴染みの家具職人・聡(新井浩文)、山岳警備隊隊長の工藤(吉田栄作)など、人間関係も多彩だ。

試写会は劇場ではなかったため、スクリーンの大きさに不満が残る。これはどうしても大スクリーンで観るべき映画だ。そして満開の桜の背後にそびえる立山連峰の映像で始まる冒頭は、これが4月公開だったら良かったのにと思わせる素敵な季節便りだ。6月公開だと少し気が抜けてしまうかも知れない。

欲を言えば、主人公の亨にカタルシスがあまり感じられず、平板に思えた。膨大な金額を机上で動かす仕事になんとなく嫌気がさして…という程度の動機で山小屋を継ごうと考えたように見えてしまうのである。むろんそこには父や父の仕事の偉大さに対する思い、人々との繋がりの温かさなど、亨を後押しした感情がたくさんあるはずなのだが、それがあまり伝わって来なかった。そして、ラストシーンもあまりピンと来ないものだった。

(2014.3.13 渋谷公会堂にて)

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2014年03月11日

『あなたを抱きしめる日まで』試写会

監督:スティーブン・フリアーズ
脚本:スティーブ・クーガン、ジェフ・ポープ
出演:ジュディ・デンチ、スティーブ・クーガン、ソフィー・ケネディ・クラーク、アンナ・マックスウェル・マーティン、ミシェル・フェアリー、バーバラ・ジェフォード、ほか
原題:Philomena
2013年イギリス

742席のホールに200名限定ということで、非常にゆったりと気持ちよく観ることのできる試写会だった。嬉しいことに、邦題から受けるイメージと予告編の印象より、ずっと深みのある良質のイギリス映画だと感じ、満足して帰って来た。

クレジットはされていないが、実在するアイルランド人主婦の体験をつづったノンフィクション『The Lost Child of Philomena Lee』(マーティン・シックススミス著)が原作で、それを映画化したものである。普通の生活を送っていたかに思えた主婦フィロミナ(ジュディ・デンチ)は、ある日娘のジェーン(アンナ・マックスウェル・マーティン)に50年間誰にも話さなかった秘密を打ち明ける。10代の頃、アイルランドでフィロミナは妊娠し、怒った親から修道院に入れられ、そこで息子を出産する。修道院で生活の面倒を見てもらう代わりに厳格なシスターたちの元、同じ境遇の少女たちとともにタダ働きをさせられ、息子に会えるのは1日たったの1時間。修道院で産まれた子供たちは、母親に無断で養子に出されることもしばしばだ。3歳になったフィロミナの息子アンソニーも、ある日知らない人たちに突然連れて行かれる。車が見えなくなるまで、息子の名前を叫び続けるフィロミナ。修道院は金銭と引き換えに、裕福なアメリカ人たちに養子を斡旋していたのである。

50年間1日たりともアンソニーを忘れたことのなく、彼の消息を知りたいと願うフィロミナのために、ジェーンは元ジャーナリストのマーティン(スティーブ・クーガン)に話を持ちかける。BBCを首になったばかりのマーティンは、フィロミナのことを記事にして起死回生を狙うべく、アンソニー探しに協力することになる。

単なる甘ったるいヒューマンドラマだったら嫌だなと思っていたが、そうではなく、よく練られた会話が絶妙で、アイルランドの風景や修道院のたたずまいもぐっとくるものがあり、見どころの多い作品だった。小説を読むのが好きで、マーティンに蕩々と筋を語るシーンや、看護師時代に慣れた罵倒の俗語を並べたてたり、そうかと思うとギャグが通じなかったり、フィロミナの人となりが実に楽しい。一方、カトリックにおける「肉欲」や「赦し」の観念など考えさせられるシーンも多かった。もちろんジュディ・デンチの安定した演技に負うところは多いが、修道院のシスター・ヒルデガード(バーバラ・ジェフォード)、若き日のフィロミナを演じたソフィー・ケネディ・クラークなど、助演陣も非常によかったと思えた。とりわけ、ソフィー・ケネディ・クラークは、1950年代の少女はこうもあろうかと納得させられる風貌と表情が素晴らしかった。

気に入らなかったのは邦題である。女性狙いが見え見えのこの手の甘ったるい邦題だけで観たくないと思う人も多いのではないだろうか。私も基本的にはそうである。

(2014.3.9 日本消防会館ニッショーホールにて)

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2014年03月08日

『ダラス・バイヤーズクラブ』

監督:ジャン=マルク・ヴァレ
脚本:クレイグ・ボーテン、ミリッサ・ウォーラック
出演:マシュー・マコノヒー、ジャレッド・レト、ジェニファー・ガーナー、ほか
原題:Dallas Buyers Club
2013年アメリカ

観なくちゃと思っているうちに、アカデミー賞で主演男優賞、助演男優賞、メイク・ヘアスタイリング賞3部門授賞というニュースが飛び込んできた。そのせいもあっただろう、平日用事を済ませてから行ったときは、もう数席しか残っておらず、一番前列しか選べなかった。ところが、初めての劇場シネマカリテは最前列でも極めて観やすく、むしろ足が伸ばせて快適だった。

見終わって、これは文句なくオスカーに値する作品だという思いを強くした。役柄に備えて過酷なダイエットをしたことが話題になったマシュー・マコノヒーとジャレッド・レトは、そんなニュースを知らなかったとしても賞賛されるべき演技だったと思う。脚本も素晴らしかった。

80年代のダラス。ロン・ウッドルーフ(マシュー・マコノヒー)は、女と酒そしてロデオに明け暮れる男。しばらく前から気になる咳をしていたが、ある日突然倒れてしまう。運ばれた病院で告げられたのは、ロンがHIV陽性でエイズを発症しており、余命は30日という驚愕の医師の言葉。エイズといえば同性愛者だけがかかる病気と思われていた当時、ロンはゲイでもないのにあり得ないと、医者の言葉をすぐには信じない。それでも、勉強とは縁遠かったロンだが、図書館に通ってエイズに関する論文や新聞記事などを読みあさり、世界中で開発されている新薬の情報などを仕入れる。そして主治医イブ(ジェニファー・ガーナー)に未承認のAZTという新薬を処方してほしいと告げる。だが医師はそんなことはできない。ロンは国外から未承認薬を仕入れ、それを自分が服用するだけでなく、金儲けのために売りさばこうと考えるが、ゲイに嫌悪感を持つロンは、需要の多いゲイたちに販路を広げることができず、病院で知り合った美しいトランスジェンダーのレイヨンを仲間に引き入れることにする。一方、AZTには大きな副作用があるのに、製薬会社と医師との癒着により国内で使用が推奨され始める。AZTの危険性を知らされたロンは、安全な代替薬を世界中から仕入れ、それをさばくシステムを考え出した。それがダラス・バイヤーズクラブである。このクラブは会費制で、会員には無料で必要な薬を配るというものだ。しかしそこに司法の壁が立ちはだかる。安全な薬を自由に飲める権利を獲得するために、やがてロンは国とも闘うことになる。

教養もなく直情径行で、ちゃらんぽらんの生活を送っていたロンだが、エイズだと知らされても、心を入れ替えるどころか、そのノリのまま突っ走る。その彼の生き方は爽快以外の何ものでもない。点滴の袋をぶら下げながら車で走り回ったり、クラブの仕事をしたり、滑稽さは漂っても、悲壮感はまったくない。その奔放さ、(ある意味での)正直さゆえに、言いようのない温かさが奇跡のように訪れる。本当に不思議な魅力のある映画だ。ジャレッド・レトの美しさも特筆に値する。とりわけ念入りなメイクを施した目元の横からの映像はほれぼれする。いかにもやぼったい女性医師を演ずるジェニファー・ガーナーもよかったし、キャスティングは大満足である。

国を相手に闘うと言っても、本来の自分を失わず、やんちゃなままのロン像は本当に魅力的だった。正義を振りかざす嫌らしさと紙一重とところに巧みにキャラクターをおさめている脚本にも賞賛を送りたい。

(2014.3.5 新宿シネマカリテにて)

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2014年02月24日

『17歳』

脚本・監督:フランソワ・オゾン
脚本:マーク・ヘイマン、アンドレス・ハインツ、ジョン・マクラフリン
出演:マリーヌ・ヴァクト、ジェラルディン・ペラス、フレデリック・ピエロ、シャーロット・ランプリング、ウィノナ・ライダー、ほか
原題:JEUNE & JOLIE
2013年フランス

オゾン監督の前作『危険なプロット』がたいへん面白かったので、今回も期待して観に行った。前評判も上々、ヒロインは「若くきれいな」という原題通りの魅力を持った女優さんだったが、全体的な感想としては、意外にあっさりしていたことに物足りなさを感じたというところか。

夏休みを海辺で過ごすイザベル(マリーヌ・ヴァクト)一家。水着姿で浜辺に寝そべるイザベルはまもなく17歳の高校生。遠くから双眼鏡でイザベル見つめる義弟のヴィクトル。ドイツ人の男の子と知り合ったイザベルは、母と義父との目を盗んで夜彼とのデートに出かけ初体験をするが、それを冷静な目で見つめるもうひとりの自分がいる。ドイツ人の彼とはそれっきり。秋になり、パリの高級ホテルに舞台が移る。部屋をノックするのはスーツに身を包んだ、20歳のソルボンヌの学生レア。しかしそれはイザベルが年齢名前を偽った姿だった。彼女はネットで相手を探し、不特定多数の男と関係を結んで金銭を得ていたのだ。つまりは娼婦。冬、互いに惹かれ合った年配のジョルジュと何回目かの逢瀬の際に、とんでもないことが起こる。

背中にあばら骨が浮き出るほど、まだ成熟手前の若い肉体を持つ17歳。だから執拗に繰り返される性愛シーンも、エロティシズムからはほど遠い。かといって、若すぎる女性が娼婦に身を堕としてゆくといった痛々しさは、これまた全く感じない。イザベルの行動がさらりとしすぎていて、何か引っかかりがないのだ。彼女をさらさら流れる水のように描くのは、監督の狙いだったのかも知れない。その代わり、彼女を取り巻く人々のほうはどの人もある程度の熱を持っているように見える。義弟の視線は興味深いが、これは時々あらわれるだけで、またすぐ別の視点に移って行ってしまうので、ちょっと散漫さを感じる。イザベルの母、義父、さらにはイザベルが関係を持つ男たちは非常にうまく描けていると思った。

よく言われるところの「自分探し」の時期を描いた映画なのだとすれば、それはありきたりすぎてつまらない。原題の"JEUNE & JOLIE"は、イザベルその人を形容したものというより、むしろ他者からのイザベルに対する視線に思える。大人たちから見れば、イザベルは絶対的な若さ・綺麗さとともに、相対的な若さ・綺麗さを持った存在だ。そこにはそれぞれが経験してきた時代・若かりし自分との邂逅があるのだと思う。義弟に代表される若い男から見れば、彼女は美そのものだろう。すなわちイザベルは実体を持った人というより象徴とも言える存在だ。

彼女がなぜ娼婦になったかについては、説明的な要素はないので想像の域を出ないが、純粋な意味でお金を貯めたかったからではないかと私は思った。肉体を売って金を稼ぐという意識は希薄で、労働に対して報酬をもらうという感覚に近いのではないだろうか。けれども、客のひとりに心を惹かれたたことから、少しずつ意識に変化が訪れ、彼女は現実感を身にまとうようになってくる。

キャストでよいと思ったのは、何と言っても義父役のフレデリック・ピエロだ。義娘に娘としての愛情を持ちながらも、若い女の子の感情の変化や行動を理解しきれずとまどう父親像をとてもうまく演じている。一見サエない中年オヤジなのだが、母親に再婚したいと思わせただけの魅力をたたえた男性に見えた。

エンディングのほうで、シャーロット・ランプリングが登場するが、そのシーンがどう考えても現実にはありえそうもない話だったので、最終的にはこの物語がお伽噺のようなものに私には思えてしまい、物足りない気がしたのはそこではないかと思った。

(2014.2.19 新宿ピカデリーにて)

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以下ネタバレあり
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2014年02月16日

『ラッシュ/プライドと友情』

監督:ロン・ハワード
原案:アンドレス・ハインツ
脚本:ピーター・モーガン
出演:ダニエル・ブリュール、クリス・ヘムズワース、オリヴィア・ワイルド、アレクサンドラ・マリア・ララ、ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ、クリスチャン・マッケイ、ほか
原題:RUSH
2013年アメリカ・ドイツ・イギリス合作

昔からF1レースが好きだった私は、これがF1を題材にした映画で、しかもF1ドライバーを俳優が演じると知って、かえってあまり見たくないなあと実は思っていた。あのレースの迫力と緊張感を俳優が出せるものだろうかと懐疑的だったからである。けれども、レビューが好評なので、それじゃあ観に行ってみようかと腰を上げた。

ニキ・ラウダ(ダニエル・ブリュール)とジェームス・ハント(クリス・ヘムズワース)という実在のF1ドライバー(ハントは1993年に死去)の対決というストーリーは、フィクションかと思うほど劇的なものであり、映画の題材にするにはうってつけだったということもあるが、レースやマシンの見事な再現性、主演二人のレーサーぶり、どこを取っても満足のいく仕上がりだったと認めざるを得なかった。カーレースに興味のない人にも、十分面白いと思ってもらえる作品だと思うし、もちろん昔からのカーレース・ファンには、1970年代のマシンやサーキットの様子など、懐かしさいっぱいの映像に堪能させられるだろう。私がF1に関心を持ったのは、彼らの次の世代といえるアラン・プロスト全盛の頃なので、ラウダとハントのライバル対決のことはほとんど知らなかったが(ラウダが大事故に遭ったという知識くらいしかなかった)、すんなり話にはとけこめた。

70年代半ば、絶頂期のハントと新進のラウダ。正反対の性格と生活信条を持つ二人は、人前で喧嘩もするし、罵詈雑言の応酬もする。二人の間にあったものはありきたりの「友情」というものではなかった。レーサーとしては常に敵同士である。しかし、相手の存在によって自らが鼓舞されるライバル関係を支えるのは、互いに対する目に見えない尊敬の念だ。この面が非常にうまく脚本に織り込まれていた。

1976年のシーズン。ドライバーズ・チャンピオン争いは、序盤からラウダがどんどんポイントを稼いでいて、ハントが後を追っていたが、ラウダの年間チャンピオンがほぼ確実視されていた。8月のドイツGP、最悪の天候の中強行されたレースで、ラウダがクラッシュ。炎に包まれ、ラウダは瀕死の重傷を負う。一時は牧師が枕元に呼ばれるほど重篤な状態だったが、彼は壮絶な治療の末に奇跡の生還を果たし、なんと6週間後のレースに復帰し、4位という好成績を収める。ラウダが入院しているうちにハントはポイントを稼ぎ、ラウダに3ポイント差まで肉薄していた。最終戦富士スピードウェイで行われる日本GPでラウダに4ポイント差をつければ、ハントは年間チャンピオンになる。運命の決戦の日、富士スピードウェイは豪雨。二人の運命のシグナルが青になる。

典型的なプレイボーイのハントと、真面目いっぽうのラウダ。この二人の性格の違いをあらわすエピソードが巧みに織り込まれた脚本がうまい。当時の二人の写真を見ても、ブリュールとヘムズワースのなりきりぶりは大したものだ。とりわけへムズワースの良さにびっくりした。マイティー・ソー役のへムズワースは、実は私はあまり買わない。顔が優しすぎて、強そうに見えないのだ。それにひきかえ、レース以外は酒と女に明け暮れるが、内面に繊細さのあるハント役は、本当にぴったりだった。ヘアスタイルも良かったかも知れない。ブリュールもその喋り方までもが、冷静なラウダにぴったりだ。

レースのシーンが何と言っても見応えがある。スピード感と耳をつんざく爆音に、やはり大きなスクリーンで観てよかったと感じた。いわゆるレース中継ではないので、カメラのアングルにかなりの工夫の跡が見られた。どう撮ると迫力があるか、どう撮ると格好いいか、その計算を重ねてできた映像だと思う。

(2014.2.15 ユナイテッド・シネマとしまえん にて)

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2014年02月04日

『ほとりの朔子』

監督・脚本・編集・コプロデューサー:深田晃司
出演:二階堂ふみ、鶴田真由、太賀、古館寛治、杉野希妃、大竹直、小篠恵奈、渡辺真起子、志賀廣太郎、松田弘子、想田和弘、ほか
仏題:Au revoir l'été
2013年

二階堂ふみが主演なので見ようと決めていた作品。フランスのナント三大陸映画祭2013でグランプリなどを獲得し、前評判もよい。チラシや映画公式サイトに使われている二階堂ふみが水の中にたたずんでいるシーンが本当によかった。その写真がすべてを物語っている。大人になる直前の女の子を、実にみずみずしく描いた作品だった。ナントの映画祭にはフランス語のタイトル≪Au revoir l'été≫(「さようなら 夏」の意味)で出品された。日本での上映は、海外映画祭と同じバージョンらしく、英語の字幕がついていて、それがやや邪魔だった。

朔子(二階堂ふみ)は、ガリ勉でありながら大学受験にことごとく失敗し、一種の放心状態、何にも興味を持てない日々を送っている。口うるさい両親から逃れるように、美しい叔母・海希江(鶴田真由)に誘われるままに、もうひとりの伯母・水帆(渡辺真起子)が海外旅行で留守になる家に夏休みを過ごしに来た。この海にほど近い町で、朔子はいろいろな人と出会う。水帆の昔からの知り合い・兎吉(古館寛治)とその娘・辰子(杉野希妃)、兎吉の高校生の甥・孝史(太賀)などである。海や川を散策したり、他愛ない話をするうちに、徐々に朔子と孝史の距離は縮まってゆく。しかし、海希江の恋人が現れたり、孝史には好きな人がいるらしいとわかったり、そのたびに朔子の心には小さなさざ波が立つ。

とりたてて何か大きな出来事が起こるわけではない。朔子が何かをきっかけに大きく飛躍するのでもない。ただ、どこにでもあるような、日常の小さなかけらを真摯に見つめる時間が持てたことで、朔子はひとまわり成長してゆく。しらけてはいないのだが、一見しらけて見える朔子。感受性がとくに鋭いとまでは言えないが、少女時代の終わり頃に特有の、外界との距離の測り方を身にまとった朔子は、モラトリアムという意味で、まさに等身大の青春を体現しているように思える。

ここ数年、青春映画として優れた作品は多い。『天然コケッコー』『きみの友だち』『横道世之介』や『桐島、部活やめるってよ』などがそうだ。けれども、『ほとりの朔子』がそれらの青春映画と決定的に違うのは、エロティシズムの面だと私は感じた。二階堂ふみの健康で媚びていない肢体をカメラが独特のアングルで狙う。ショートパンツをはいた朔子が2階へ上がってゆくのを下から捉えたカメラには、思わず息を飲んでしまうような爽やかなエロティシズムを感じた。男性目線だとどう感じるのかはわからないが、露出度の多いリゾート・ファッションや、水着姿、一度だけ見せたアップに結ったヘアスタイルなど、計算し尽くされた美がある。成熟した大人の魅力を見せる鶴田真由と並ぶとまだほんの子供にも見える二階堂だが、この年齢にしか出せないまぶしさがスクリーンにいっぱいに広がっていた。それだけでも、観た甲斐はあった。

孝史を演じる太賀もよかった。大河ドラマ「八重の桜」で演じた徳富健次郎役は、あまり丁寧に描いてもらえなかったように思うが、この作品では十分に力を発揮できたのではないだろうか。孝史がこの町にやってきた経緯が終盤で明らかになるが、ある集会での孝史のスピーチの場面は素晴らしいと感じた。

海希江の恋人・西田(大竹直)は、こういう男っているいる!と言いたくなる嫌らしい人物像だ。海希江のような知的で仕事もバリバリやっている女性は、西田のような男にうっかり惚れがちなものだと、非常に共感を覚える設定でもあった。人間観察の鋭い脚本だと、そこにとても感心した。素敵な作品だったが、125分はやや長いかなという印象で、もっと削ぎ落とせるのではないかとも思う。

(2014.2.3 シアター イメージフォーラムにて)

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